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2007年11月30日(金)

参加者インタビュー第31弾~あきらめない気持ちが夢の実現につながる!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第31回目の「参加者インタビュー」では、『あなたの夢を運びます!』の神谷繕光(カミタニヨシミツ)さんをご紹介。福岡県福岡市博多区で、人力車出張サービス「人力屋」の代表者兼車夫をされている神谷さん。独立・起業後、様々な試練を乗り越えて「人力屋」を軌道に乗せた神谷さんに、色々なお話をお聞きしました!

人力屋の婚礼人力車サービス


――神谷さんのお仕事についてお教えください


神谷繕光さん(以下、神):人力車を使ったサービス業は、福岡では「人力屋」が初めてになります。人力車によるサービスというと、観光名所巡りというイメージがありますが、「人力屋」ではご予約をいただき、出張するという形をとっています。現在は、結婚式の際の神社から披露宴会場への送迎や、イベントやお祭りなどでのアトラクションをメインに展開しています。土日祝日には、神社前などを拠点にして観光案内をすることもありますが、基本的にご予約優先ですね。また、福岡の博多で営業していますが、ご要望があれば市外や県外にも出張いたします。「人力屋」のサービスは、京都や浅草、鎌倉などの観光案内サービスとはまた別の人力車を使った企画サービスという感じです。


――人力車を使ったサービスを始めようと思われたきっかけは?


神:今から11年ほど前、勤めていた会社を退職し、起業しようと決意しました。独立・起業には以前から興味があって、「いつか自分で商売がしたい」とずっと思っていたんですが、どんな業種にしようかと、退職する前の1年間はずっと悩んでいました。人力車を使ったサービスをしようと思ったのは、退職する直前にたまたま行った京都の嵐山で、観光案内の人力車と出会ったのがきっかけです。


元々、中学から陸上競技をやっていて、社会人になってからはフルマラソンやトライアスロンの大会に出場していましたので、体力には自信がありました。さらに、マラソンはずっと一人で走らなければいけませんが、人力車はお客さんを乗せて話しながら走れて、なおかつお金がもらえるんですから、「なんて楽しそうな仕事なんだ」と思ったんです。あくまでも始める前のイメージですが(笑)。とにかく、「あんな仕事ができたら楽しいだろうな」「どうしても人力車に関わっていたい、やってみたい」という思いで、一台150万円の人力車を購入しました。もちろん、人力車を購入したところで、すぐに食えるようになるわけではないとは思いましたが、今買わずにいて、もしも何年後かに誰かが博多で人力車をひいているのを見たら、絶対に後悔するだろうと思ったんです。


――独立・起業を志すようになったのは?


神:前職は大手化粧品会社で、私が入社した頃は、まだ創業5年目の若い企業でした。そこのオーナーの下で色々と勉強をさせてもらううちに、いつか自分でも会社を作りたいと思うようになったんです。それから、転勤で様々な土地に行くようになり、それぞれの土地の販売店の女性社長さんたちが、ものすごく稼いでいるのを知って、「商売はやり方次第、自分の知恵次第で、どのようにでもなるんだ」と可能性を感じました。さらに、退職する数年前、岡山県岡山市にいた時に、同期が独立して会社を作ったんです。すごく身近なところで独立・起業した人を見て、刺激を受けましたね。また、夢を語る彼の姿勢を見て、魅力のある生き方だと思いました。当時はやっている仕事以上の十分な報酬をもらっていましたし、年齢的なことも考えると、普通は今さらそんな冒険はしないのかもしれませんが、決断の時は今だと思い、退職して「人力屋」を始めたんです。


――お仕事が軌道に乗るまで、色々なご苦労をされたそうですね


神:退職して「人力屋」を始めてから、8年半ほどずっと二足のわらじ状態でした。肉体労働や飲食店など色々な仕事をして、精神的にすごく辛い時期もありましたね。起業してから5、6年経っても芽が出ず、「もしかして自分の選択は間違いだったのかもしれない」と何度も思いました。でも、「絶対あきらめない」という思いで続けたことにより、3年くらい前から、ようやく「人力屋」一本で食べていけるようになりました。今はまだ道半ばですが、自分のやりたい仕事一本で食べていける環境が整って本当にうれしいです。


――神谷さんの夢をお教えください


神:現在、人力屋で所有している人力車は5台なんですが、将来的には博多に10台の人力車を走らせたいと思っています。また、独立・起業に悩む方たちと、ともに成長していけるサロンの結成を考えています。現在も毎週火曜日の朝6:30~8:30に勉強会を開いているんですが、いずれはサロンという形にしたいですね。これまでの経験を自分の胸の内にしまっておくのではなく、新たに独立・起業したいという方の役に立てたいと思っています。また、私自身、自分一人だと見えなくなってしまう部分も出てきてしまいますので、そういった部分をアドバイスしてもらえれば、お互いにプラスになりますよね。


――これから挑戦していきたいことは?


神:これまでの経験を一冊の本にまとめて出版したいと思っています。2003年3月からブログを始めたんですが、会社を退職してから「人力屋」を始め、現在にいたるまでを描いた『人力屋奮戦記』という体験記もブログ内で展開しているんです(※左メニューの下の方にあるフリーページ部分に掲載されています)。これを本にすることができればと思っています。


私の知り合いで、「夢×挑戦ブログ」にも登録している方なんですが、すごく波乱万丈な人生を歩まれてきた零細企業コンサルタントの方がいるんです。私が知り合った頃は、その方の人生の中でもかなりのどん底状態の時だったんですが、そんな中で2人で勉強会を始めました。その後、私は別の仕事の都合で一時的に勉強会から離れてしまったのですが、しばらくしてから「どうしているかな?」と思い、彼が発行しているメールマガジンを読んでみたところ、ずいぶんと様子が違うんですよ。すごくブレイクしていたんです。経営戦略の本を共著で出版したところ、大ヒットしたそうなんです。その後もさらに本を出版したり、講演会を開いたりと快進撃を続け、昨年から今年にかけて家族全員で世界一周旅行にも行っていました(笑)。一冊の本がベストセラーになって成功を収めるという話はよく聞きますが、夢のような話だと思っていたんです。でも、それをごく身近な人が実現したことによって、すごく勇気づけられました。夢を持ち続けていれば、いつかどこかで必ず実現できるんです。


博多の夜景をバックにした人力屋スタッフの方々


以前、ラジオ番組の取材を受けた神谷さんが、スポンサー会社の社長宛に後日お礼状を出したところ、「人生成功の秘訣は、成功するまで挑戦し続けること」「何事もあきらめないことが突破口」といったメッセージが書かれたお返事をいただいたそうです。「そのハガキはいつもシステム手帳にはさんで持ち歩いています」と神谷さん。本当に、夢に挑戦する人を励ましてくれる言葉ですよね!


そんな神谷さんのブログには、「人力屋」のお仕事のことはもちろん、独立・起業を目指している人を励ましてくれるような記事も満載。起業や経営に興味のある方は、ぜひブログ内にある『人力屋奮戦記』と併せてご覧ください!「夢×挑戦ブログ」は、これからも神谷さんの夢への挑戦を応援し続けます!


『あなたの夢を運びます!』

2007年11月30日10:30 | | トラックバック (0)

2007年11月22日(木)

参加者インタビュー第30弾~東京国際女子マラソンですべての力を出し切る!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」も第30回目を迎えました!今回は『Let's Run With こうめ』のこうめさんをご紹介!ベテランランナーのこうめさんは、11月18日の東京国際女子マラソンに参加!折しも大会直前に行われたこのインタビューでは、こうめさんの大会にかける想いや夢について色々なお話をお聞きしました!
※下写真は、昨年の東京国際女子マラソンでのこうめさん。

昨年の東京国際女子マラソンでのこうめさん


――マラソンを始められたきっかけをお教えください


こうめさん(以下、こ):20歳の時、会社の同僚に無料で参加できる女子マラソン大会に誘われたのをきっかけに、5kmや10kmといった気軽に参加できる大会に出場するようになりました。東京国際女子マラソンが始まったのもちょうどその頃で、ジョイ・スミスさんというイギリスの選手を見て、「私もいつかフルマラソンを走ってみたいな」と憧れていました。とはいえ、当時は出場するともらえるお土産が目的で、ほとんど練習もせずに参加していたんですが。


――フルマラソンに参加されるようになったのは、いつ頃でしょうか?


こ:初めてのフルマラソンは、30歳の時。ホノルルマラソンに参加しました。芸能人がホノルルマラソンに参加するTV番組を見て、「これなら私も走れるかも」と思ってしまったんです(笑)。また、当時は一般の人が参加できるフルマラソンは、ホノルルマラソンぐらいしかありませんでした。それから、30代の間はハーフマラソンや10キロなど短い距離のレースに参加していました。


40歳の時に再びフルマラソンに挑戦してから、真面目に練習に取り組むようになったんです。練習すればもちろんタイムも伸びますので、もっといいタイムを出したいという欲も出てきて、積極的にレースに参加するようになりました。でも、仕事の忙しさなどで練習量が減るとともに、体重が増えていき、北海道マラソンでは途中で関門につかまったり欠場してしまうことが続きました。そこで、2004年の元旦に再び本格的に走ることを決意し、半年かけて体重を減らし、北海道マラソンに挑戦しました。そこで思いがけず良い記録だったのをきっかけにもっと練習量を増やすようになりました。昨年は、長年の夢だった東京国際女子マラソンに初めて出場し、3時間23分45秒という自己ベスト記録を出すことができました!


――これまでに印象的だったレースはありますか?


こ:やっぱり、昨年の東京国際女子マラソンですね。1回目から見てきた憧れのレースでしたので、今までで一番思い入れがありました。女性だけで走るというのも新鮮でしたし、スタート前に自然と、「みんなで一緒に頑張りましょう」という雰囲気になったのが良かったですね。お互いライバルのはずなんだけど、同志というか、同じ東京国際女子マラソンを目指してきた仲間という気持ちになりました。


あと、初めて参加した1997年のニューヨークシティマラソン(以下、NYCマラソン)も印象深いですね。その後NYCマラソンにのめりこんで、これまでに1997・98・99、2004年の4回出場しています。97年の初参加の時は、沿道の声援の多さもさることながら、100ヶ国以上の人が集まって走りますので、色々な国の言葉による声援が聞こえてくるという、他のレースにはない独特な雰囲気に圧倒されました。NYCマラソンに参加してから、一生懸命に走ろうという気持ちが出てきたような気がします。あのレースは、私の中で大きなウエイトを占めていますね。


――こうめさんの夢をお教えください


こ:今年一年の夢というか目標としては、3時間15分を切ることだったんです。3時間15分というタイムをクリアすれば、大阪国際女子マラソンや名古屋国際女子マラソンに参加することができるんです。今の自己ベストから縮めるのは大変だと思いますが、無理なことではないと思っています。でも、現時点での自分の状態などを考え、今は11月18日に開催される東京国際女子マラソンで、「自分のすべての力を出し切ること」に変えました(※このインタビューは11月18日以前に行われています)。昨年も、もちろん精一杯走ったのですが、終わってからしばらく経つうちに、まだ余力があったような気がしてきて、「もうちょっと頑張れたかな」と思うようになったんです。だから、今年は自分のすべてを出し切って走りたいですね。


――今年の東京国際女子マラソンへの意気込みは?


こ:東京国際女子マラソンには「国際の部」と「市民の部」があります。私が参加する「市民の部」は、他のレースで3時間30分という目標タイムをクリアしなければ参加できません。これまでは、その目標タイムをクリアして参加の申し込みをすれば、ほとんどの人が大会に出ることができました。でも、今年は155名の方が定員オーバーで参加することができなくなってしまったんです。東京マラソンと東京国際女子マラソンの一本化が検討されたことから、「最後の東京国際女子マラソンになるかもしれない」と言われるようになり、参加者が殺到してしまったんですね。


「市民の部」の出場者の選考結果がわかったのは、大会の1ヶ月前でした。選考されなかった方たちも、東京国際女子マラソンを目指して厳しい練習を積み重ね、目標タイムをクリアしてきたのに、さぞかし無念だったと思います。11月18日は、その方たちの分までしっかりと完走したいと思っています。あとは、レースに参加してみたいなと思っている女性たちに、「私も頑張ってみよう!」と思ってもらえるような走りができたらと思います。


――これからの夢をお教えください


こ:フルマラソンで納得のいくレースができたら、ウルトラマラソン(※1)やトレイルランニング(※2)といったフルマラソンとはまた違った世界を楽しんでみたいと思っています。納得のいくレースというのはタイムよりも中身なんですが、フルマラソンではまだまだやり残した宿題をやっている気分なので、それができたらウルトラマラソンやトレイルランニングにも参加したいみたいですね。
※1:フルマラソン(42.195km)よりも長い50kmや100kmといった距離を走るマラソン。
※2:登山道や林道などを走るランニングのこと。


11月18日の東京国際女子マラソンで使用したゼッケン


11月18日(日)の東京国際女子マラソン直前に行われたこのインタビュー。今の心境は?とお聞きしたところ、「今からじたばたしても仕方がないので」と泰然とされていたこうめさん。当日は見事完走され、記録は3時28分02秒とのこと!おめでとうございます。そして、お疲れ様でした!


「走るのって楽しいよ」をコンセプトに始められたという『Let's Run With こうめ』。記事を読んでいると、なんだか自然と走りたい気分になってきます!すでにランナーだという方も、これから始めようと思っている方も、ぜひブログをご覧ください。「夢×挑戦ブログ」は、これからもこうめさんの夢を応援し続けます!


『Let's Run With こうめ』

2007年11月22日10:30 | | トラックバック (1)

2007年11月16日(金)

参加者インタビュー第29弾~ドッジボールでさらに強くなる仲間との絆!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」第29回目は『ナンバ-2という媚薬』の五郎次郎さんをご紹介。保育園の保護者の方たちとともに大人のドッジボールチーム「H.O.YAMADA(エイチオーヤマダ)」を結成された五郎次郎さん。あくまでもナンバー2としてチームを支え、活動を楽しんでいるという五郎次郎さんに、色々なお話をお聞きしました。

H.O.YAMADAのドッジボール


――ドッジボールチームを結成されたきっかけをお教えください


五郎次郎さん(以下、五):「H.O.YAMADA」は、末娘の通っていた保育園のお父さん、お母さんたちと結成したチームです。元々、一部の保護者の方々とはよく一緒に飲みに行く間柄だったんですが、飲みに行かない方たちとも保育園の行事を通して良い関係を築くことができました。世間では子どもが巻き込まれる事件・事故のニュースが連日のように報道され、親として子どもたちに何ができるのだろうかと漠然とした不安を日々抱えていたので、こういった関係はお互いに頼もしく感じていました。


でも、卒園すると子どもたちは五つの小学校に分かれてしまうんです。せっかく築き上げた保護者同士の関係も卒園と同時に終わってしまうのはもったいないですよね。飲み会は引き続きできるかもしれませんが、お酒を飲むだけの集まりというのもつまらないですし、それだとお酒が飲めない人が参加できませんので、何かみんなでできるものはないかと考え、ドッジボールをやろうということになったんです。


――なぜドッジボールを選ばれたのでしょうか?


五:野球やサッカーだと、中学・高校で部活動の経験があったり、すでに別のチームに所属していて、ズバ抜けて上手い人がいるかもしれませんよね。チームの中でレベルの差ができてしまうとつまらないですし、道具を揃えたりするのにお金も結構かかりますので、ちょっと敷居が高い感じがしたんです。ドッジボールは、子どもの頃にやったことがある人が多いと思うのですが、大抵の人が中学生ぐらいからあまりやっていないだろうから、みんなが同じぐらいのレベルで始めることができるのではないかと思ったんです。野球やサッカーに比べて、初期投資も少なくて済みそうだなというのもありましたし。それに、大人のチームというのはあまりなさそうだから、「もしかして大会とかがあったら優勝できるかも!?」なんて憶測もあり、ドッジボールに決めたんです。でも、それは大変甘い考えでした(笑)。


――甘い考えだったというのは?


五:ボールを買えば始められるものだと思っていたんですが、実際は膝あてが必要だったり、テーピングも毎回しなくてはいけなかったり…。何より、ボールの数もそれなりに揃えないと2人1組のパス練習もできない。思っていた以上に初期投資が必要でした(笑)。


また、子どもの頃のイメージで止まってしまっていたため、なんとなく「子どもがやる遊び」「気軽にできる」と思い込んでいたんですが、それは大きな間違いでした。ドッジボールは、日本ドッジボール協会という協会もあるきちんとした競技種目で、真剣に取り組んでおられる方々がたくさんいらっしゃいます。だから、ドッジボールをはじめた頃の僕のブログには、そういった方々の目に不愉快に映ってしまう記述があったかもしれません。でも、今は仲間たちとの関係を高めてくれたドッジボールに感謝していますし、試合に強いチームは作れないかもしれませんが、絆の強いチームを作るために僕らなりに真剣にドッジボールに取り組んでいます。


――五郎次郎さんのチームでの役割は?


五:ブログのタイトル通り「ナンバー2」です。監督のTがチームをまとめ上げ、僕はそれを面白おかしくブログに書いているだけです。チームの結成から運営の最大の功労者は監督だと思っています。あと、僕の文章力のいたらなさから、ブログに書いてあることがチーム全体のメッセージのように受け取られることもあるかもしれませんが、あくまでも僕個人の発言です。「ナンバー2」ですので、のびのびとさせてもらっています。ただ、何事もそうだと思うんですが、自分から行動しないと、ただそこに居るだけの人間になってしまいますよね。「H.O.YAMADA」のために何かしなくちゃと自分から行動している分、「チーム内での自分の存在」を周りの人にも認めてもらっていると思っています。


――チームは今、どのような活動をされているのでしょうか?


五:練習は月に2回ぐらいしています。男女混合のチームでメンバーは24名いるんですが、やっぱりそれぞれに仕事や用事があるので、みんなで集まるのはなかなか難しいですね。今は、12月2日(日)にナゴヤドームで開催される「ドームドッジ2007INナゴヤ」に参加するための練習をしています。この大会には当初から子どもたちも連れていく予定だったのですが、どうせ連れていくなら子どもたちのチームも作ってしまおうということになり、小学生22名の子どもチームも結成しました。大人と子どもの総勢40名で、バスを貸し切っていく予定です。


――これからの夢や挑戦をお教えください


五:ナゴヤドームの後は何も考えていません。ドッジボール自体の目標を元々定めていませんので、ナゴヤドームが終わって、その時何か見えたらそれをやろうと思っています。もしかしたら、「もっと練習して来年は必ず勝ちたい」となっているかもしれないし、「全然違うスポーツをやろう」ということになっているかもしれません。でも、今後もこのメンバーで続けたいと思っています。


元々、保育園で築き上げた関係を続けたい、深めたい、もっと楽しみたいということから始まったチームですので、夢や目標というのもおこがましいのですが、ドッジボールを通じてできた関係を子どもたちの地域環境を守るために生かせればと思っています。


子どもチームの練習風景


保護者間の関係をより深めるために結成された「H.O.YAMADA」。ドッジボールの練習もさることながら、その後に開かれる反省会もかなり盛り上がるそうです。五郎次郎さん曰く、「飲む機会がますます増えてしまいました」とのこと。そんな楽しい反省会の様子も『ナンバ-2という媚薬』で紹介されています!


なお、チームには、五郎次郎さんの奥様と三人のお子さんも参加!「子どもたちの目に格好良く映るか、尊敬してもらえるかというのも自分の原動力になっています」と五郎次郎さん。ナゴヤドームでは、ぜひお子さんたちの声援に応えるご活躍を!「夢×挑戦ブログ」も応援しております!


『ナンバ-2という媚薬』

2007年11月16日10:30 | | トラックバック (2)

2007年11月 9日(金)

参加者インタビュー第28弾~四季の花々を折り紙で!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第28回目の「参加者インタビュー」は、『山吹日記』の高橋康晃(ニックネーム:おなが)さんをご紹介!折り紙による素敵な創作作品を次々とブログで発表されている高橋さん。四季折々の花や鳥などを題材にシンプルな作品を作りたいという高橋さんに、折り紙を始められたきっかけやこれからの創作活動などについて、色々とお聞きしました!

高橋さんの作品「バラ玉」


――折り紙を始められたきっかけをお教えください


高橋康晃さん(以下、高):ちょうど今から1年ぐらい前の昨年10月末に、あるHPでたまたまマジックローズキューブで作ったくす玉の「バラ玉」を見て、自分でも作り始めたのがきっかけです。マジックローズキューブは、サイコロ状に折ったものを開いていくと、バラの花になるという折り紙で、アメリカのバレリー・バンさんが考えたものです。まず、折り方が載っているHPや図書館から借りてきた本を見ながらマジックローズキューブを作り、それを「バラ玉」の載っているHPを見ながらくす玉にしていきました。


その初めて作った「バラ玉」を茶飲み友達の近所の履物屋さんに見せたら、その人も折り紙が好きで、とてもほめてくれたんです。それから他の近所の方にも教えて欲しいと言われるようになり、今年の1月に日本折紙協会の折紙講師の資格を取得し、3月から月に1回、履物屋さんの店内を借りて折紙教室を開くようになりました。毎回5~6名の方に、3月はお雛様など、その季節に合ったものをお教えしています。


――ブログではたくさんの作品を発表されていますね


高:これまでに作った40個ぐらいの作品を載せています。ひとつの作品を作るのに、同じ物を2、3個作って、その中から一番良くできたものを選んでブログにアップしているので、実際にはブログに掲載されている作品の2、3倍は作っていることになります(笑)。


ブログに掲載している作品は創作作品が中心です。人に見てもらうんだから、ブログに載せるのはなるべく自分で創作したものをと決めています。作るのは実際に1~2日ですが、作る前にインターネットで同じようなものがないか、ざっと調べてから作るようにしています。だいたい10日ぐらい何を作ろうか悩み、題材が決まった後も考えたり調べたりするので、準備期間の方が長いですね。月に2作品ぐらいは作りたいと思ってやっています。


――花の作品が多いですね


高:折り紙に取り入れやすい題材だったし、作りやすかったので、花が多いですね。一番初めに作ったのもバラ玉でしたし。その時その時の季節をちょっと先取りしたものを作るようにしています。作りたい花が決まったら、インターネットの植物図鑑で調べたり、庭に咲いている花を観察したりしながら折っていきます。自分一人で作っていると思い込みで作ってしまう部分も出てくるので、人に見てもらい、色々と意見を聞きながら完成に近づけていきます。


――おながさんが挑戦されている夢をお教えください


高:創作作品を認めてもらうことです。日本折紙協会が発行している「月刊おりがみ」9月号に「桔梗」が掲載された時は、本当に嬉しかったですね。また、ブログも昨年12月に開設してから約10ヶ月で7,000アクセスを超えました。多くの方に見ていただいているようです。ブログはすぐに作品がアップできて、コメントももらえるので励みになります。また、「月刊おりがみ」に載ってからは、1日のアクセス数が以前の3倍に増えました。ブログのことは雑誌に載せていなかったのに、みなさんご自分で調べて見に来てくれているみたいです。ブックマークしてくださっている方も多いんですよ。


ずっとコンピューター関係の仕事で第一線で働いてきたんですが、退職して、一時期色々と悩むこともありました。でも、「月刊おりがみ」に載ったり、ブログでコメントをもらうことによって、今度は折り紙で第一線にいるんだという自信が持てるようになりました。


――今後はどのような作品を作られる予定なのでしょうか?


高:これからも季節の花を作っていきたいと思っています。特に、前に作った菊の出来がいまいち気に入らなかったので、また作り直したいですね。また、教室に来てくれている方々のリクエストに応えられるように、今後は花以外にも色々と範囲を広げていきたいと思っています。


今、折り紙は二極化しています。一方は、くす玉や箱などのシンプルなもの。もう一方は、若い方を中心に人気のあるもので、一枚の折り紙でリアルで複雑な昆虫や恐竜などを作るものです。私の場合、リアルな方向に行き過ぎると自分の作りたい物と違ってしまいますので、今後も折り紙らしさを残しつつ、花や鳥といった身の回りのものを作っていきたいと思っています。干支の動物も一通り、自分の個性を出しながらシンプルに作ってみたいですね。


――これからの夢をお教えください


高:できれば『山吹日記』を本にしたいと思っています。ブログはどうしてもインターネットができる方しか見れませんから、本にまとめて出版して、インターネットができない世代の方にも自分の作品を見てもらいたいですね。


創作中の高橋さん


現在、東京・渋谷の「こどもの城」で、日本折紙協会による「第14回おりがみカーニバル」という展覧会が催されており、高橋さんの作品「四色問題」も展示されているとのこと(『山吹日記』タイトル部分の写真の後列中央のくす玉です)。期間は11月18日(日)まで。高橋さんの作品をぜひ生でご覧ください!
※上写真は、創作中の高橋さん。


美しい創作作品がたくさん掲載されている高橋さんのブログ『山吹日記』。本当に、創作を始めてからまだ一年とは思えない作品ばかりです。これからも四季折々の花など、たくさんの作品を発表されることを楽しみにしています。「夢×挑戦ブログ」は今後も高橋さんの夢を応援いたします!


『山吹日記』

2007年11月 9日10:30 | | トラックバック (0)

2007年11月 2日(金)

参加者インタビュー第27弾~地元に「カフェ」や「食」の文化を!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」第27回目は、『名もないカフェ』のMさんをご紹介!ご友人のKさんとともに「名もないカフェ」というフードユニットを結成し、地元福島県郡山市でカフェのオープンを目指して活動中のMさん。「地元にカフェや食の文化を根付かせたい!」というMさんに、色々なお話を楽しくお聞きしました!

名もないカフェのケータリングメニュー


――カフェを開きたいと思ったきっかけは?


Mさん(以下、M):出身は福島なんですが、大学進学から10年間を大阪で過ごし、そこでカフェや喫茶店の文化に親しみました。大阪では、モーニングを食べたり、読書やおしゃべりを楽しんだり、待ち合わせをしたりと、日常の様々なシーンにカフェや喫茶店が溶け込んでいるんです。6年前に地元に戻ってきたのですが、地元にはカフェや喫茶店がほとんどない状態でした。高校生の頃に通っていた喫茶店も軒並み閉店。新しいカフェがオープンしたと思っても、すぐに閉店してしまうんです…。


お酒を飲んだ後、最後にラーメンでしめるという人も多いと思うんですが、私はそういう時に、カフェや喫茶店でコーヒーを飲んだり、甘い物を食べたいと思うんですね。「お酒はもう飲めないし、ラーメンを食べるほどお腹も空いていない。でも、あと少しだけ話がしたい」という時に入れるお店が地元にもあればなぁと思っているうちに、「欲しければ自分で作ればいいんだ!」と思い立ったんです。コンセプトは「朝からシャンパン、夜でもスイーツ」。大人が自由に楽しめるカフェを開くことができればと思っています。


――フードユニット「名もないカフェ」はどのように活動されてきたのですか?


M:大阪から地元に戻ってきて、食品メーカーに入社したんです。そこで、「名もないカフェ」を一緒にやっているKと出会いました。二人とも美味しいものを食べたり飲んだりするのが好きで、はじめはあくまでも夢の話として「カフェが開けたらいいよね~」なんて語り合っていたのですが、そのうち二人でカフェのイベントを企画するようになり、フードユニット「名もないカフェ」として活動するようになったんです。


カフェイベントが回を重ねるうちに、だんだんと「お店を開きたい」という夢が具体的になってきました。私は会社を辞めてお店探しを始めたんですが、その時は物件の関係で計画が頓挫してしまい、再び会社勤めをしながら「名もないカフェ」の活動を地道に続けました。そして、今年の6月にまた良い物件が見つかり、再びカフェオープンに向かって動き始めたのですが、今度はKが仕事の都合で、どうしても「名もないカフェ」から一度離れなくてはならない状況になってしまったんです。物件や資金面の問題がクリアになりつつある時でしたし、何よりもKは夢を共有する仲間ですので、まさに寝耳に水ですごくショックだったんですが、今はKが戻るのを待ちながら、イベントやケータリング、フードコーディネートのお仕事を続けています。


――何度も壁にぶつかりながらも夢を追い続ける原動力は?


M:夢がかなって、カフェがオープンできた時のことを考えます。きっと幸せなんだろうなぁと。「お店ができたら、きっと楽しいだろうな~!」という思いが原動力です。お店を開きたいと思ったきっかけも、「まず自分が楽しみたい」といった理由からでしたし。


それと、「カフェ」や「食」をきっかけに出会った方々の存在も励みになっています。カフェのイベントに来てくださったお客様や、一緒にイベントを作り上げたアーティストの皆さん。物件探しで知り合い、今でも色々と励ましてくださるビルのオーナーのおじいさん。ブログにコメントを寄せてくださる地元の皆さん。たくさんの方に応援していただき、本当に感謝しています。


――カフェはどんなお店にされる予定なんですか?


M:自分の趣味を発信する場所としてカフェを開きたいと思う人も多いと思うんですが、私は色々な人や物をつなげる場所にしたいと思っているんです。元々何かを作るのが好きで、芸大で映画作りを学び、卒業後は企業の企画部で販売促進を担当したのですが、仕事をしているうちに「自分はクリエイティブな仕事よりも、まとめ役や調整役の方が向いているのではないか」ということに気がついたんです。販促の仕事は、商品開発の人のアイデアや、コピーライター、カメラマンが作った物をまとめる役で、地味だけどとても重要な仕事です。「名もないカフェ」のお店も、そんな風に人や物、文化をつなげたり、広げたりする場所にしたいと思っています。


――これからどのように夢への挑戦を続けていかれるのでしょうか?


M:引き続き、ケータリングやフードコーディネートなどのお仕事をしながら「名もないカフェ」の活動を続け、お店のオープンに向けて着々と準備を進めていきたいと思っています。今は、お店を開くために必要な食品衛生責任者の資格と、民間のフードコーディネーターの資格を取得するための勉強もしています。


それと、地元に「カフェ」や「食」の文化を根付かせ、もっと地元の方々と「食」を通じてコミュニケーションを図っていきたいと思っています。先日も子どものための料理教室を開き、子どもたちと一緒にチョコレートシフォンケーキを作りました。今後は大人向けのお料理研究会も開きたいと思っています。また、カフェでは曜日替わりの店長さんも募集しています。何人かで入れ物(カフェ)を共有して、ひとつのお店を運営していくというものです。「名もないカフェ」のお店を自分たちだけのものにせず、カフェをやってみたいけれど物件や資金面で実現できない人たちに提供することによって、「カフェ」や「食」に関わりたいという人を育てられればと思っています。「名もないカフェ」をきっかけに、カフェやケータリングなどを始める人がどんどん出てきて、郡山市で「カフェ」や「食」の文化が盛んになってくれれば嬉しいですね。


「HONGO CAFE(ホンゴウカフェ)」という会津で行われたカフェイベントの時のプレート


「地元にカフェや食の文化を根付かせたい」というMさんの強い思いが伝わってきた今回のインタビュー。そんなMさんの『名もないカフェ』のブログには、地元の方々から「おすすめの物件があるよ」「DIYが得意なので、ちょっとした物なら作れますよ」など、様々な応援コメントが寄せられています!


また、ブログにはMさんによるカフェ飯やまかない飯の写真とレシピが公開されており、どれも「食べてみたい!」と思う美味しそうなメニューばかり!一日も早くお店がオープンされることを願っております。「夢×挑戦ブログ」では、これからもMさんの夢を応援し続けます!


『名もないカフェ』

2007年11月 2日10:30 | | トラックバック (1)

2007年10月26日(金)

参加者インタビュー第26弾~テレマークスキーと山登りで山を楽しみたい!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第26回目の「参加者インタビュー」は、『帰ってきた♪テレマーク娘』のERさんをご紹介いたします!冬はテレマークスキー、夏は山登りをされているというアクティブなERさんに、テレマークスキーや山登りを通して得たことや印象的だった出来事など、色々なお話をお聞きしました!

吾妻山でシュプールを描くERさん


――テレマークスキーについてと、始められたきっかけをお教えください


ERさん(以下、E):テレマークスキーは、スキー板につま先だけを固定するので、かかとを動かせるのが特徴です。滑る時はスキージャンプ競技の着地時にするテレマークポーズでターンしながら滑るんですよ!また、スキー板のまま平地を歩けますし、滑り止めを付ければ斜面を登ることができますので、リフトがない所にも登って行って滑ることができるんです。


10年くらい前からアルペンスキーをやっていたのですが、3年くらい前にテレマークスキーをやってる人たちが、スキー板を付けたままどんどん山の中に入って滑るのを見て、「やってみたい!」と思ったのがきっかけです。始めてみたらアルペンスキーよりも難しくて、上手くなりたいという一心でのめり込んでしまいました。それに、滑るのが楽しいのはもちろんですが、スキー板をはいたまま雪の上でもどこでも歩けますし、斜面を自由にどんどん登っていけるので、山の中を動きまわれるのがとにかく楽しいです。


――夏は山登りをされているんですよね


E:昔から近くの山を登ったりしていたんですが、本格的に登るようになったのは今から5年くらい前からです。テレマークスキーより、若干歴が長いですね。以前は日帰りで登っていたのが、だんだん山小屋に泊まるようになり、気がついたらテントを持って登るようになっていました(笑)。山には、テレマークスキーと山登りを合わせて、年に10~30回くらい行っています。よく行くのは、山形県の月山(がっさん)や福島県の安達太良山(あだたらやま)で、テレマークスキー、山登りの両方で行っています。夏は登山道に沿って登りますが、冬はテレマークスキーでまっすぐに登っていきますので、同じ山でも見える景色が結構違うんですよ。


山には、子どもの頃父にスキーに連れていってもらったり、安達太良山に家族でハイキングやキャンプによく行っていました。子どもの頃から山に親しんできたことが、今のテレマークスキーや山登りにつながっているんだと思います。


――テレマークスキーと山登りを続ける中で得たものは?


E:たくさんの友達です。テレマークスキーも山登りも、続けていくうちにどんどん友達が増えました。色々な方から、色々なことを教えていただき、たくさんのことを吸収しました。テレマークスキーをやっている方たちも、山登りをしている方たちも、皆さんいつも前向きでいきいきとしていて、見習いたい点が多いです。私も常に前向きでいたいなと思います。


ブログも色々な方との出会いや交流に役立っています。ブログを始めたのは、テレマークスキーと出会ったのと同じ3年くらい前で、「テレマークスキーや山登りの記録を残したい」という思いから始めたのですが、今ではたくさんの方からコメントをいただくようになりました。すごく励みになりますね。


――テレマークスキーと山登りで一番重要なことは?


E:「あせらない」「無理しない」「頑張りすぎない」ことだと思います。テレマークスキーも山登りも、ちょっとした過ちが事故につながることがありますので、少しでも天候が悪い時や自分の体調が心配な時には、とにかく無理をしないで、そして前向きに考えるように心がけています。日常生活や仕事の時も、この心がけは役立っていると思います。


――これまでの中で感動したことや印象的だったことは?


E:色々な場所で、そこでしか見られない風景を自分の目で見ることができたことです。場所の違いはもちろん、朝、昼、夕方と、山はその時その時で表情を変えます。また、夜は夜で星がすごくはっきりと見えて、本当にきれいです。その場所その場所に、その時その時の風景があるので、どれが一番かというのは決められないのですが…。でも、飯豊山(いいでさん)に登った時に山小屋で見た朝焼けは特に印象的でした。


――ERさんの夢をお教えください


E:テレマークスキーでカナダのバックカントリーを滑ることです!せっかくテレマークスキーを始めたんだから、「どうせやるならでっかい夢を」ということで目標にしました。あと、テレマークスキーだったら、北アルプスの春スキーにも行ってみたいですね。


――今後はどのようにテレマークスキーと山登りを続けられるのでしょうか?


E:テレマークスキーや山登りを通して、さらに多くの方と出会ってもっと色々なことを吸収していきたいですね!あと、最近はマラソンも少しずつ始めていて、週に2、3回走っています。以前から体力作りのために週2、3回ジムに通っていますので、マラソンと合わせるとほぼ毎日体を動かしていることになります(笑)。久々に山に入って、すぐに動けなくなってしまっては困るので、常にジム等で体力を保つようにしているんです。おかげでスタミナもついてきて、山に行って動ける範囲も増えてきています。これからも、あせらず、無理せず、頑張り過ぎず、楽しみながらやっていきたいと思っています!


錦秋燃ゆるERさんの一番好きな山・飯豊山


テレマークスキーや山登りのレポートに、素晴らしい山々の写真が満載のERさんの『帰ってきた♪テレマーク娘』。「これからもあせらずのんびりと頑張っていこうと思っていますので、温かくブログを見守っていただければと思っています!」とのこと。皆さんもぜひERさんのブログをご覧ください!


今後の予定としては、しばらくは山登りを楽しまれ、本格的な冬を迎える来年の1月からゲレンデでテレマークスキーの練習を開始。2月ぐらいからテレマークスキーで山に入ってバックカントリースキーをされる計画とのこと。今年はいつになく暑い夏となり、秋もなかなか深まりませんが、冬にはテレマークスキーが存分に楽しめるぐらいに雪が降り積もることを「夢×挑戦ブログ」も願っております!


『帰ってきた♪テレマーク娘』

2007年10月26日10:30 | | トラックバック (0)

2007年10月19日(金)

参加者インタビュー第25弾~音楽で笑顔を届けたい!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」第25回目は、『コンソメWパンチblog(仮)』のなるきさんをご紹介!現在、大学で福祉の勉強をしているなるきさんは、音楽ボランティアサークル「コンソメWパンチ」を立ち上げ、静岡県内の様々な児童施設や高齢者施設で出張コンサートをおこなっています。17人のメンバーとともに夢に挑戦するなるきさんに、色々なお話をお聞きしました!

コンソメWパンチの皆さん


――コンソメWパンチを立ち上げたきっかけは?


なるきさん(以下、な):僕たちは静岡英和学院大学人間社会学部の地域福祉学科の学生で、コンソメWパンチは同じ学科の同じ志のある友達と作った学内サークルです。僕は高校も福祉科に進学してまして、子どもの時から習っていたピアノを人のために役立てることはできないかと思い、その頃から出張コンサートをしていたんです。それから大学に進学し、「高校の頃こういう活動をしていたんだ」と友達3人に持ちかけ、コンソメWパンチを立ち上げました。最初は4人で始めたサークルですが、今では18人に増えました。僕は部長で、キーボードを担当しています。現在は土日や長期休暇を利用して、静岡県内の児童施設や高齢者施設をはじめ、障害者施設、病院、地域のお祭りなどに出張コンサートに行っています。


――皆さんが挑戦している夢を教えてください


な:全国の子どもたちやお年寄りに僕たちの音楽を通して「笑顔」を届けることです!そして、いつでも最高の仲良しチームでいることです!メンバーがいつも仲良しで笑顔でいれば、コンサートを見てくださる皆さんにも笑顔を届けることができるのではないかと思っています。コンサートの後、子どもたちが「また来てねー」と言ってくれたり、お年寄りの方たちが涙を流して聴いてくださるのを見ると本当に励みになりますね。


――出張コンサートではどんな曲を演奏しているんですか?


な:保育園などの児童施設ではオリジナルの曲を演奏しています。高齢者施設では昔の歌謡曲や童謡ですね。自分たちのおじいちゃんやおばあちゃんにどんな曲をやったら良いか教えてもらって、島倉千代子さんや吉幾三さんの曲を演奏しています。あと、音楽の演奏の他に、リズムや歌詞に合わせて手足を動かしたり、言葉遊びをする「遊び歌」と、パネルの上に貼り付けたイラストを動かしてお話の読み聞かせをする「パネルシアター」もやっています。作曲は僕が担当し、遊び歌の歌詞やパネルシアターのお話はメンバーみんなで考えています。


――最近は様々な施設からオファーが来るそうですね


な:サークルを立ち上げてから3年目になりますが、最初の年は「出張コンサートをさせてください」とお願いしても断られていたんです。でも、2年目の夏には6ヶ所の施設を回るツアーをおこない、3年目の今年からはオファーをもらうようになりました!コンサートに行った保育園の園長先生が、他の園の園長先生たちが集まる会議で僕たちの活動を取り上げてくれたり、民生委員の方がコンサートを見に来ていて委員会で話題にしてくれたりと、口コミで広まっていった感じですね。それに、僕たちは結構ラッキーで、出張コンサートに行った施設にたまたま新聞の取材が来ていて、ついでに記事に取り上げてくれたこともあるんです。


――夢に挑戦する原動力はどんなところにあるのでしょうか?


な:僕が6歳の時、弟が心臓病でわずか1歳で亡くなってしまったんです。それからずっと、弟に何もしてあげられなかった事が心に引っかかっていました。高校の時に福祉科に進学したのも、弟に何もできなかった代わりに、何か社会に貢献したいと思ったからです。メンバーの中にも、亡くなったおじいちゃんに何もできなかったから、将来は高齢者施設で働きたいという人がいます。メンバーそれぞれ、様々な背景や思いがあって集まっています。


また、「最高のメンバーで最高の思い出作りをしたい!」というのも原動力のひとつです。サークルのメンバーは、静岡県の各地から「福祉を学びたい」という同じ思いで大学に集まり、さらに1学年150人いる中から、同じ志、同じ夢を持ち、同じように音楽が好きだという理由で集まった18人です。何千分の一、何万分の一というすごい確率で集まったこの仲間たちと一緒に、最高の思い出を作りたいと思っています。


――夢に挑戦し続ける中で印象的だった出来事はありますか?


な:出張コンサートに行ったある保育園の園児のお母さんからお手紙をもらったことです。その子は自閉症で、自分の興味のあることだけに集中してしまう傾向があるのですが、僕たちが作った遊び歌を真剣に見てくれて、家でも歌ったり、家族の人に話したりしてくれたそうです。お母さんからの手紙には、「子どもが真剣になって何かを覚えたのは初めて」「自分から話しかけてくれたのは初めて」という喜びが書いてありました。「コンサートを見てくれた人だけでなく、実際に見ていない人にも自分たちの思いが伝わるんだ」「ひとりの人の心を動かすことができたんだ」と本当に感動しました。


――今後はどのように夢に挑戦されていくのでしょうか?


な:僕は3年生なので、そろそろ就職の事も考えなくてはいけないんですが、できれば卒業後も今の活動を続けていきたいと思っています。好きなことを仕事にしたいという思いもありますし、卒業後に連絡をくださった方に、「卒業してしまったので、もう辞めました」と言ってがっかりさせたくないんです。


これまで、メンバーみんなで人に喜んでもらえる活動内容を考えたり、たくさんの人と出会うことにより、人間の温かさについて学ぶことができ僕たち自身もすごく成長させていただきました。これからも最高のメンバーたちと一緒に大好きな音楽を通して「笑顔」を届ける活動を続けていきたいと思っています。今は静岡県内で活動していますが、コンソメWパンチの活動を全国に広げていきたいですね!


児童施設での出張コンサートの様子


今年の夏はコンサートツアーで静岡県内津々浦々を回られたというコンソメWパンチの皆さん。このインタビューの翌日もまさにコンサート本番で、後日ブログを拝見したところ「大成功!」とのことでした。コンサートのスケジュールは来年の2月まで入っているとのこと。快進撃はこれからも続きそうですね!


全国の子どもたちやお年寄りに「笑顔」を届けるという夢に挑戦し続ける「コンソメWパンチ」。これからも最高のメンバーで最高の笑顔を届けられることを「夢×挑戦ブログ」も応援しています!皆さんもぜひ、『コンソメWパンチblog(仮)』にご声援をお寄せください!


『コンソメWパンチblog(仮)』

2007年10月19日10:30 | | トラックバック (0)

2007年10月12日(金)

参加者インタビュー第24弾~子どもたちと一緒に全国制覇!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第24回目の「参加者インタビュー」は、『福井県柔道 川口道場.志ノート』の赤ペン先生をご紹介!福井県にある川口道場で少年柔道の指導をされている赤ペン先生。子どもたちとともに「全国制覇」という大きな夢に向かって日々練習に励んでいる赤ペン先生に、夢に向かって頑張ることの大切さなどについてお聞きしました!
※下写真は、川口道場のテーマ「志」と、子どもだちの志ノート。


川口道場のテーマ「志」と、子どもだちの志ノート


――少年柔道の指導にたずさわるようになったきっかけは?


赤ペン先生(以下、赤):中学校の時に柔道部に入り、それから14年間ずっと柔道を続けてきました。少年柔道の指導にたずさわるようになったのは、石川県で接骨(整骨)院の学校に通っていた時です。アルバイトをしていた接骨院が柔道の道場も一緒にやっていて、少年柔道の指導をお手伝いするようになったんです。現在、師範を務めている川口道場の代表師範・川口稔先生ともそこで知り合いました。それから石川県で就職して働いていたんですが、昨年結婚を機に地元の福井県に帰ってきたところ、先に福井県に戻り道場を開いていた川口先生からお誘いを受け、少年柔道の指導者になりました。


――赤ペン先生が挑戦されている夢をお教えください


赤:川口道場の子どもたちとともに全国大会で優勝、全国制覇することです!川口道場はできてからまだ2年半の道場ですので、大それた夢なのかもしれませんが、子どもたちに「夢や目標に向かって頑張ることの大切さ」を知ってもらうために、全国制覇という大きな夢に挑戦することにしました。川口道場のテーマは「志」です。「志」を持って一生懸命に努力することにより、今まで出来なかったことが出来るようになる喜びを知ってもらい、柔道を通じて努力する楽しさ素晴らしさを、子どもたちに伝えたいと思っています。


指導者の仕事は、子どもたちに夢や目標を持たせ、それに向かって努力させることによって、人間的に成長させることだと思っています。子どもたちは、いつか指導者の手を離れ、自分で考えて行動していかなくてはならなくなりますよね。たとえ強くなったとしても、周りに言われた通りにやって強くなったのでは、指導者の手を離れた時に自分でどうしたらいいの分らなくなってしまいます。だから川口道場では、指導者は夢の方向を示してあげて、子どもたちが自分たちで考えたり工夫するのをサポートすることを重視しています。まず「強くなりたい」という気持ちを芽生えさせ、そのために「目標を持って頑張ることが大切なんだ」ということを教えています。柔道を通して一生懸命頑張ることや、夢のために努力することを覚えた子は、どこの世界に行っても頑張れると思います。


――子どもたちを指導していく上で大事にしているのはどんなことですか?


赤:子どもたちとの信頼関係ですね。どんなに「柔道は素晴らしい!」と言ってみても、信頼関係がなければ「何言ってるんだ」となってしまいますから。自分たちも子どもたちを信頼し、子どもたちからも信頼してもらわなければいけません。全国制覇も人間的な成長も、まずは信頼関係からだと思っています。この信頼関係を築くために子どもたち一人ひとりに『志ノート』という反省ノートを持たせており、試合や練習で気付いたこと、分からないことを自由に書いてくるようにしてあります。子どもたちも言葉では言いづらいことでも文章にすれば案外伝えることができるようで、信頼関係を築くのにすごく役に立っています。余談ですが、この『志ノート』の返事を赤色のペンで書いているので、自分は「赤ペン先生」です。このようなことをしながら、信頼し合い、そして導いていってあげたいと思っています。また、仲間同士の信頼関係も大切です。夢は一人では絶対にかなえることはできません。自分がいて、まわりにみんながいるからこそです。全国制覇という同じ夢を目指すことによって、子どもたち同士でも信頼関係を築いていって欲しいと思っています。


――夢に挑戦する原動力はどんなところにあるのでしょうか?


赤:柔道が本当に好きだからですかね!それと、一生懸命に頑張っている子どもたちの気持ちに応えたいという思いです。初めは親に言われて渋々道場に通ってきていた子も、できないことを克服していくうちに、どんどん積極的に目標に挑戦していくようになっていきます。子どもたちは、気持ちひとつで、きっかけひとつで別人のように変わっていくんですよ。時には壁にぶつかることもありますが、逃げ出さずに目標達成を目指して頑張り、壁を乗り越えていきます。その子その子で壁の高さも中身も違いますが、どんな些細な壁でも、それを乗り切った時の笑顔を見ると、なんとも言えない気持ちになりますね。子どもたちが成長していく姿には本当に感動します。


――夢への挑戦を続ける中で得たものはありますか?


赤:柔道の創始者である嘉納治五郎先生が門下生に伝えた「精力善用」「自他共栄」という柔道の基本の言葉があるのですが、柔道を始めた頃はこの意味がわかりませんでした。「精力善用」とは、人間の行動は善を目的としなければならないから善を最も有効に行うという意味で、「自他共栄」はお互いに助け合い、譲り合うことによりはじめて自分も相手も共に栄えるという意味なんですが、少年柔道の指導をするようになり、子どもたちと一緒に夢を追いかけるようになってから、やっと言葉の意味分るようになってきました。人は自分一人で強くなることはできません。仲間や相手がいるからこそ強くなれる。そして強くなるということには、人間的にも優れた人格を身に付けなければならないということが含まれるということを学びました。


――今後はどのように夢に挑戦されていくのでしょうか?


赤:引き続き全国制覇目指して頑張っていきます。子どもたちみんなが上を目指すようになってきてくれたので、大きすぎる夢に挫折しないように、個人個人の目標を設定してあげて、一緒に弱点を克服していきたいと思っています。そして川口道場では、柔道の厳しい練習を通じて、勝ち負けだけにとらわれず人間的に成長するプロセスを大事にしていき、「どんな子でも夢や目標に向かって頑張ることができる、頑張ることが大切なんだ」ということを教えていきたいですね。


川口道場の子どもたち


道場に通う子どもたちや親御さんたちも見ているという『福井県柔道 川口道場.志ノート』。道場では伝えきれなかったことをブログに書いているとのことで、子どもたちとの信頼関係を築くのにも一役買っているようです。夢に向かって奮闘する川口道場の皆さんの日々がつづられたブログを、ぜひご覧ください!


8月に行われた全国小学生学年別柔道大会では、小学5年生の女の子が予選リーグ1勝1敗で敗退ながらも、川口道場初の全国大会1勝をあげたそうです。「川口道場にとって大きな一歩となりました」と赤ペン先生。これからも全国制覇の夢に向かって子どもたちとともに頑張ってください!「夢×挑戦ブログ」も応援しています!


『福井県柔道 川口道場.志ノート』

2007年10月12日10:30 | | トラックバック (0)

2007年10月 5日(金)

参加者インタビュー第23弾~天然キノコ料理が味わえる店を目指して!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。


「参加者インタビュー」第23回目は、『女将、今日も走る!』のまつもとちあきさんをご紹介いたします!まつもとさんは、天然キノコなどをメインにした創作料理のお店の女将さんで、現在はお店の移転再開を目指して、天然キノコについて日々勉強中とのこと。新しいお店や天然キノコについて、色々なお話をお聞きしました!


「きのこたっぷり白馬の森」パスタ


――まつもとさんが挑戦している夢についてお教えください


まつもとちあきさん(以下、ま):大阪の阿波座で4年半続けたお店を今年の3月に閉め、現在はチーフである夫とともに、移転という形で再開を目指しています。もともと「体に優しく心に優しい料理」をモットーに、キノコとスローフード・創作料理のお店を営業していたのですが、お客様にもっと喜んだり感動してもらえる料理が出せるよう、今は天然キノコやキノコ料理について勉強中です。


――天然キノコは前のお店でも出されていたんですか?


ま:お店を始めてから2年目ぐらいに、キノコ栽培をしている業者の方が山で採ってきたばかりのキノコを送ってくださるようになり、食べてみたんです。最近はスーパーでも色々な種類のキノコが売られるようになってきましたが、天然キノコはさらに種類が豊富ですし、味も香りもまったく違うんです!本当に美味しいし、お店のモットーにも合うヘルシーな食材でしたので、お客様にも出すようになりました。キノコとともに、豆腐や蕎麦、ダチョウの肉といったヘルシー食材を使っていたのですが、一昨年頃からお客様の間で「天然キノコの料理が食べられる店」という評判が口コミで広がり、だんだんと天然キノコがメインになっていったんです。昨年は、自分で採ってきた天然キノコも出したところ、大盛況となりました。「今日はこんなキノコがあります」とブログに書くと、そのキノコを目当てにお客様が来店してくださったりしていたんですよ。


――お店ではどんなキノコ料理を出していたんですか?


ま:うちの店は特に洋食の創作料理を主としていますので、オムレツやソテー、グラタン、秋になると「きのこたっぷり白馬の森」という20種類のキノコを使ったパスタなどを出していました。キノコは種類をたくさん使うほど色々な味が出てきて美味しくなるんですよ。あとは、チーフのおまかせ料理を売りにしていましたので、お客様のお好みを聞いて様々なアレンジの料理を出していました。街中で天然キノコを出すということ自体が珍しかったようですが、キノコ料理というと皆さん和食料理のイメージがあったようで、洋食のキノコ料理というのも新鮮だったみたいですね。ヘルシーさを求める女性のお客様にも好評でした。


――最近は、キノコ観察会などに積極的に参加されているようですね


ま:日本キノコ協会という団体があるのですが、そこに所属している様々な会が開催しているキノコ観察会に参加させてもらっています。日本キノコ協会と出会ったきっかけは、昨年3月頃に新聞で「MOOKきのこ」という本が出ていることを知り、取り寄せたのがきっかけです。その本の編集先が兵庫県神戸市灘区王子公園にある日本キノコ協会で、編集発行人の方がたまたま私と同じブログサービスを利用されていたので、思い切ってメールで連絡したことから交流が始まりました。


ちょうどその頃、「天然キノコを自分で採って店で出したいけれど、毒キノコもあるのでうかつに出せない、どうしたらいいものか」と考えていたんですが、日本キノコ協会を通じて、天然キノコに詳しい“キノコの達人”の方たちと知り合うことができました。今では天然キノコが採りたい時には、キノコの達人の方々にキノコ狩りに連れていってもらっています。日本キノコ協会とはすごく良いタイミングで出会うことができたなと思います。


――天然キノコの勉強やお店再開の準備はいかがですか?


ま:キノコを知るには、生物学、菌類学、植物学、地学、気象学などの自然科学の基礎知識が必要だそうです。特に毒があるかないかの識別は、ある程度の勉強が不可欠なようです。移転先の物件は、何回か見に行ったりしていますが、なかなか納得のいくような物件は見つかりませんね。でも、次のお店の飛躍のためにも、あせらずにじっくりと勉強や物件探しをしていきたいと思います。一旦お店を閉めることになったのも、勉強をするために必要な時間をもらったんだと思っています。


もちろん、時には気持ちが後ろ向きになってしまうこともあるんですが、お店の再開を待ってくださっているお客様からブログにメッセージをいただくことがあって、すごく励みになっています。


――今後はどのように夢に挑戦されていくのでしょうか?


ま:最終的にはもちろん、お店を再開するのが夢です。かならず復活したいと思っています。新しいお店では、キノコのことをもっと知りたい人のために講師を招いてキノコ講習会を開いたり、キノコの写真展・アート展を開いたり、キノコ狩りに参加したい人たちのための案内所的な役割を担ったりと、キノコが好きな人、キノコ料理が好きな人たちが交流できるお店にしたいと思っています。


また、キノコ料理の本の出版も考えています。「キノコはどうやって料理すればいいの?」と聞かれることが良くありますし、キノコ料理のレシピ本ってなかなかないんですよね。あっても和風料理だったり、山で採った天然キノコをその場で食べるような方法だったりと、プロの料理人による洋風のレシピが載っている本格的な本がないんです。料理をメインにしたブログもありまして、そちらでは今までにお店で出したメニューや勉強がてらチーフが作った新しい創作料理を発表しているのですが、キノコ料理だけでもすでに90種類以上発表しています。もっとたくさんの人にキノコ料理を知ってもらうためにも、チーフのレシピを本にできればいいですね。


キノコの女王さま キヌガサダケ


味覚の秋の始まりにふさわしい今回のインタビュー。記事を読んでいるうちに、天然キノコに興味をもたれたり、食べたくなってしまった方も多いのではないでしょうか?関西方面のお住まいの方は、まつもとさんのお店が再開された際には、ぜひキノコとスローフード・創作料理を味わいに足を運んでみてください!


『女将、今日も走る!』では、同じように飲食店を経営されている方たちと情報を交換するなど、お店再開のためにもブログを活用しているというまつもとさん。着々とお店再開に向けて歩んでおられますね!「夢×挑戦ブログ」も、まつもとさんのお店が再開されることを楽しみに待っています!


『女将、今日も走る!』

2007年10月 5日10:30 | | トラックバック (1)

2007年9月28日(金)

参加者インタビュー第22弾~男子新体操をもっとメジャーに!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」第22回目は、『reportage』の横田泉さんをご紹介!高校の男子新体操部を中心に取材活動を行い、詳細な取材ルポと躍動感溢れる写真をブログで発表している横田さん。夢は「男子新体操をメジャーにすること!」と語る横田さんに、男子新体操の魅力や夢への挑戦について、色々なお話をお聞きしました!

男子新体操-団体


――まず最初に男子新体操との出会いを教えてください


横田泉さん(以下、横):高校生になって新体操部に入ったんですが、そこに一人だけ男子の先輩がいて、男子新体操というものがあることを知りました。それから2年生になり、大会で初めて男子新体操の試合を見て、「これは面白い!」と一気にはまってしまったんです。大学に入ってからは、男子新体操部のマネージャーをしていました。割と飽きっぽい方なんですが、男子新体操だけはずっと好きでずっと関わり続けているので、自分でも本当に好きなんだなぁと思います。


――取材とブログを始めたきっかけは?


横:昨年12月に、知り合いの紹介で青森山田高校の男子新体操部の練習を見に行ったんです。その時は、取材しようとか、ブログを書こうとかいう考えはまったくなかったんですが、一生懸命に練習する部員たちの姿を見て、「自分の大好きな男子新体操をこんなにも頑張っている人たちのために、何かしたい!」という思いに火がつき、今年の1月くらいから取材を始め、ブログを作りました。取材先は高校の男子体操部がメインで、これまでに関東近県の高校を始め、青森、京都、宮崎、佐賀などの高校を取材しました。平日は仕事がありますので、取材は主に休日や連休を利用して行っています。


――取材などでつらかったことや大変だったことはありますか?


横:好きでやっていることなので、正直つらいことはありません。取材の申し込みもだいたいすんなり通ります。むしろ、取材先の方々にはとても親切にしてもらって、良いことばかりです。GWを利用して佐賀、宮崎、京都に取材に行った時も、あらかじめ宿を取っておいたのに、監督やOBのご家族が家に泊めてくれたり、宿を手配してくれて、自分で予約した宿にまともに泊まったのは1回だけでした(笑)。本当に温かい方が多いんですよ。


――男子新体操部の選手たちの反応はどうですか?


横:学校によって違いますね。監督が厳しい高校の子たちは、質問にもキビキビと的確に答えてくれます。関東、関西の街中の学校の子たちは、気軽に話しかけてくれる子が多いですね。ただ、仲良く話したりしても、“友達”にはなっちゃいけないと思っているんです。友達のことって、近すぎて見えるものも見えなくなったり、ついついひいき目で見てしまったりしますよね。色々な高校を取材しているので、公平なルポを書くためにも、そこだけは気をつけています。


――これまでの取材で思い出に残るエピソードをお教えください


横:宮崎にある小林工業高校に取材に行った時、練習を見ているだけで涙が出そうになりました。選手たちの必死な気持ち、勝ちたい気持ちが伝わってくるんです。練習自体も体育会系の厳しい内容なんですが、誰一人として文句も言わずについていくんです。選手たちが必死になるのには、中学の時から一緒にやってきた仲間が他県の強豪校に進学してしまい、今は優勝を争うライバル同士になっているといった背景があったのですが、そういった事情を知らなくても、その一生懸命な姿には心を動かされました。


取材を通して、選手たちからは色々な事を学びました。考えて動くとはどういうことなのか、本気になるとはどういうことなのか、自分に勝つとはどういうことなのか。本当は自分で経験しなければ分らないことを、彼らの姿を通して学ぶことができました。頑張っている人の姿からは、年上とか年下とか関係なく、勉強することがたくさんあります。


――夢は「男子新体操をメジャーにすること」だそうですね


横:男子新体操をメジャーなスポーツにしたいのは、選手たちが将来、「男子新体操を仕事にしていけるような環境」を作りたいからです。現在、男子新体操関係の職業と言えば部活の指導者ぐらいしかなく、どんなに高校や大学で頑張っても、どんなに高い身体能力を持っていても、それを生かせる職業がない状態です。本当にもったいないことだと思います。


今は取材活動をしてブログを書くといった形で男子新体操と関わっていますが、取材とブログを目的に活動しているわけではありません。あくまでも男子新体操をメジャーにする方法を見つけるためのきっかけとして取り組んでいます。取材とブログを通して色々な方と出会い、色々と勉強をしながら、自分にできることを探していきたいと思っています。


――今後の男子新体操の展望とご自身の夢への挑戦についてお教えください


横:もともと大会数が少ないのですが、2009年には国体種目から外されてしまうため、状況的にまた厳しくなっていきそうです。でも、競技人口は地道に増えてきていますし、ここ数年、子どもの頃からジュニアチームに通っていた選手たちが高校に進学してきて、競技内容のレベルが上がったりと、全体としては良い傾向になってきています。8月にはNHK教育で初めてインターハイが放映されました。男子新体操の面白さは、動いているところを見てもらわないことには分らないと思うので、今後も試合などがTVで放映される機会が増えていけばと考えています。


私にどんなことができるのか、どんなことをすればいいのか、まだまだ模索中ですが、男子新体操をメジャーにするという夢を達成するまで、あきらめずに続けていきたいと思っています!


男子新体操-輪


11月23日(金・祝)~25日(日)に、東京・千駄ヶ谷の東京体育館で全日本選手権が開催されるとのこと。「男子新体操は死ぬまでに一回は見ておいて損はないスポーツです!関東圏の方はぜひ足を運んでください!」と横田さん。男子新体操を生で見られるまたとないチャンスです!また、下記のサイトで動画を見ることができますので、男子新体操に興味を持たれた方はぜひご覧ください!


■「日本体操協会」サイト:第59回全日本新体操選手権大会


インタビュー当日も、「実は今、大分にいるんです!明日も取材に行く予定です」と言っていた横田さん。「男子新体操をメジャーにしたい!」という横田さんの熱意と行動力には、まさに“夢”“挑戦”という言葉がぴったりだと思います。「夢×挑戦ブログ」は、横田さんの夢、そして男子新体操をこれからも応援していきます!


『reportage』

2007年9月28日10:30 | | トラックバック (0)

2007年9月21日(金)

参加者インタビュー第21弾~ママのハンドメイドを極める!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第21回目の「参加者インタビュー」は、『ままはん』のくうさんをご紹介。『ままはん』とは「ママのハンドメイド」の略で、「実用的で」「簡単で」「ちょっとおしゃれな物」をコンセプトに、洋服や小物、雑貨など様々な作品を制作されています。夢への挑戦や日々の制作について、くうさんに色々なお話をお聞きしました!

ままはん


――ハンドメイド作品を作るようになったのはいつ頃からですか?


くうさん(以下、く):小さい頃、母と祖母が手作りや洋裁をしているのを見て育ちました。母が自分の着物をほどいて私に小物を作ってくれたりして、嬉しかったのを覚えています。母と祖母の影響か、小学生の頃は夏休みの宿題によく手芸作品を作っていました。その頃から手作りするのが好きだったんだと思います。社会人になってからは、就職した会社にクラブ活動があったので、洋裁クラブに入りました。洋裁の基礎を習って、通勤用のブラウスやスカートなどを作ってました。


今のようにハンドメイド作品を作るようになったのは、結婚して長男が生まれてからです。子どものための物を作ってあげたいと思い、長男が生まれて半年後にミシンを久々に出してみました。昔は自分のために物を作っていたわけですが、子どものために物を作るということと、作った物を着てもらえるということに喜びを感じて、それから日常生活に密着した家族がらみのハンドメイド作品を作るようになりました。


――ハンドメイド作品を作り続ける中で、挑戦している夢を教えてください


く:色々なハンドメイド作品をもっと上手に作れるようになることが夢です!いつも技術不足、経験不足を感じています。作り終えた直後は達成感があるのですが、しばらくすると色々なところが気になってくるんですよね。また、実用性重視なので、実際に着たり使ったりした時の着心地・使い心地も良くないと…。


それに、ハンドメイドは洋裁に小物作り、刺繍やキルトといった手芸など幅が広く、新しい分野もどんどん出てきますから、やってもやっても終わることがないんです。人生は意外と短いので、限られた時間の中で色々な作品を上手に作りたいという夢に到達するのは難しいかもしれません。でも、全部極めるのは無理でも、とこまで手が届くか挑戦したいと思っています。そして、もしその見果てぬ夢の途中で、娘のウエディングドレスや孫のベビー服を作る機会にめぐり合えたら、それこそ「ままはん」冥利ですね。


――2日に1回のペースでブログに作品を発表されているんですよね


く:2日に1回更新という目標は、なんとなくダラダラと過ごしてしまう状況を打破しようと、3月に「夢×挑戦ブログ」に参加したのをきっかけにはじめました。本当にハンドメイドが好きなんですが、実は私、結構雑なんです(笑)。とにかく早く完成させたい!と、いつも早く作ろうとしてしまうんですよね。そこを反省しつつ、上手くなるには数をこなすことだと思い、2日に1回という目標を作りました。いい意味でプレッシャーになっているようで、なんとか目標達成しながら続いていますし、夢の実現にも少しづつ近づいているのではと思っています。


ブログを始めたこと自体、作品作りに良い影響を与えてくれているようです。これまでは家族や自分が使うんだから、ちょっとぐらい雑でもいいかな?と思うような部分がありましたが、最近はブログに写真を載せることを考えて作り直したりしています。一人でも見てくれている人がいると思うと、頑張って作品を作ろう、更新しようと思いますし、コメントをもらったりすると励みになりますよね。また、自分より上手い方のブログに行って作品を見たりするのも刺激になっています。これまでは自分の世界だけでコツコツと作っていましたが、ブログを通して世界が開けてきた感じがします。


――ご家族のために色々なものを作られていますが、評判はいかがですか?


く:ちょっと恥ずかしいのですが、主人のリクエストでトランクスやステテコを作りました(笑)。トランクスは簡単に作れるので自信がついて、もう何回も作っています。簡単に作れて実用的で毎日着用する物って、まさに『ままはん』的ですし。


子どもは、小4の息子と小2の娘がいるんですが、自分が気に入った柄だと喜んで着てくれますが、気に入らない柄だったり、着心地が悪かったりすると1回ぐらいしか着てくれないこともあります。息子はわりと無頓着なんですが、やっぱり娘は厳しいですね。私はナチュラルなテイストの作品が好きなんですが、娘はTVやお友達の影響で、キャラクター物とか色の鮮やかなものが好きだったりするので、最近は作る前に「こんなのどう?」と聞くようにしています。


――今後はどのような作品に挑戦されていくのでしょうか?


く:身近なところでは、秋物です。ロックミシンを購入し、ニット作品に挑戦してみたいです。作品は子どもの成長に合わせて、これからも自然に変化していくだろうと思います。


いずれは紳士物のワイシャツやテーラードジャケットなど、もっと難しいものにもチャレンジしたいですね。刺繍などの工芸品に近い物も作ってみたいです。最近も新しい視点を取り入れようと思って、カルトナージュ(※)や切り紙などに挑戦しました。でも、あまり実用的でない物は、子どもたちがもう少し大きくなって落ち着いてからやってみたいと思っています。『ままはん』の優先順位は、あくまでも家族の物や家族で使う実用的な物、そして自分の物、最後に新しい物の順ですので。


※フランスの伝統的な手工芸。厚紙を組み立て、布や紙を貼って作る。


くうさん制作の娘さんのサンドレス


くうさんのブログには、洋服や帽子、バッグはもちろん、キャミソールやルームシューズなど、「これもハンドメイドで作れるんだ!」と思わず驚いてしまうような作品がたくさん紹介されています。素敵なハンドメイド作品に囲まれて生活できるご家族がうらやましいですね。ぜひ、皆さんも『ままはん』をご覧ください!


「実は、『ままはん』が流行語大賞にノミネートされると良いな、なんて野望を密かに持っているんです(笑)」と、くうさん。シンプルで親しみやすいネーミングですので、浸透するのも夢ではないかもしれません!「夢×挑戦ブログ」では、これからもくうさんの挑戦を応援し続けます!


『ままはん』

2007年9月21日10:30 | | トラックバック (1)

2007年9月14日(金)

参加者インタビュー第20弾~もっと次の瞬間を撮りたい!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

ついに「参加者インタビュー」も第20回目を迎えました!今回は『Birrrds!!! 野鳥動物撮影記』のbirrrdさんをご紹介。大阪のご出身で現在は北海道に移住し、野鳥や動植物の写真を撮られているbirrrdさん。「写真が生活の中心」というbirrrdさんに、写真を撮り続ける原動力や野鳥たちの魅力などについてお聞きしました!

鶴居村のタンチョウ


――大阪から北海道に移住されたきっかけをお教えください


birrrd(以下、b):今から15年くらい前、大学生の時に北海道に旅行に来ました。旅行といっても観光ではなく、当時山岳部に所属していて、冬山登山の訓練として野宿旅行に来たんです。雪山で露営(※)する際、雪の斜面を掘って雪洞(せつどう)という穴を作るんですが、それを雪の降り積もっている酪農家の方の庭先に掘らせてもらって、そこで寝泊まりしながら2週間ほど旅しました。酪農家の方たちは皆さん快く庭を貸してくれたんですが、夜になると3日に1回くらいの割合で「一緒に飲まないか」と家の中に招かれたので、完全な野宿旅行にはなりませんでした(笑)。でも、それで北海道は良いところだなと思い、就職先を北海道で見つけ、大学卒業後に移住しました。


※テントなどを使って野外で寝ること。


――写真は北海道に行かれる前から撮っていたんですか?


b:高校、大学の頃は本格的なカメラを買えませんでしたから、コンパクトカメラのちょっと良いやつを使って撮影するぐらいでした。山岳部なので山とか木とか撮っていましたね。今のように鳥や動植物を撮るようになったのは、北海道に来てから5年目ぐらいの冬にタンチョウ(ヅル)と出会ったのがきっかけです。北海道には、冬にタンチョウにエサをやる公式の給餌場が3ヶ所あるんですが、そのうちの1ヶ所で初めて野生のタンチョウを見たんです。野生のタンチョウなんて滅多に見れるものではないと思う人も多いかも知れませんが、それがもう目の前にいるんですよ。「タンチョウってこんな風に飛んでくるんだ」「こんな風に餌を食べるんだ」と、すごく良いものを見れた気持ちになりました。


翌年の春には本格的なカメラを購入し、鳥や動植物を撮影するようになりました。僕の家の近所には幸いなことに大きな湿原があり、渡り鳥も多くやってくるんです。仕事は高校の英語教師をしているんですが、平日も野鳥の撮影をしたいので、今は定時制の高校に勤務し、午前中はほぼ毎日撮影しています。今ではすっかり、写真が生活の中心になっていますね。


――野鳥の写真を撮り続ける中で挑戦している夢を教えてください


b:夢と言うには具体性に欠けているかもしれませんが、楽しみながらも厳しく、野鳥や動植物の姿を撮影し続けられればいいなと思っています。あと、撮った瞬間に手ごたえを感じた写真って、何年経ってもその時の感激や驚きを覚えているものなんですが、そんな気持ちを見た人にも同じように感じてもらえるような写真を撮っていきたいですね。


――これまでに一番感動したこと、印象的だったことをお教えください


b:マガンが春の渡りの時に見せる姿です。マガンは渡り鳥で、夏はロシア、冬は日本の宮城県などで過ごします。北海道はマガンが春と秋に渡る時の中継地点で、家から10分のところにあるウトナイ湖や、約100km離れたところにある宮島沼にも集まります。マガンは春の方がより集まるんですが、宮島沼は特に圧巻で、あまり大きくない沼に6~7万羽が集まり、沼一面がマガンで埋まってしまいます。それが毎日、エサを求めて夜明け前に一斉に飛び立つんですから、鈍い爆発音のような音が何十秒も続いてすごい迫力です。実際に見たら誰でもすごく感動すると思いますよ。僕も、もう何度も見ていますが毎回感動しています。


――野鳥の姿を撮り続ける原動力は何だと思いますか?


b:写真を撮る人の多くがそうだと思うんですが、「自分が撮った直後、もしかしたら明日、もしかしたら来年の方がもっと良い写真が撮れるかもしれない」「Aという場所よりも、Bという場所よりも、Cという場所の方が良く撮れるかも」と、常に「今撮ったものよりも、次の瞬間、次の場所の方がもっと良い写真が撮れるかもしれない」と思ってしまうんですね。そういった「もっと次に行きたい」という気持ちが原動力になっていると思います。


――今後はどのように夢に挑戦されていかれるのでしょうか?


b:北海道を拠点にしつつ、極地や砂漠などの厳しい環境で生きる野鳥たちの姿や、実際に目にする以上にきれいで迫力のある可愛らしい野生動物の姿を撮っていきたいですね。今年の冬には亜南極圏にあるフォークランドにいく予定です。これまでにコスタリカやアメリカ、パレスチナ、アラスカ北極圏などに撮影に行ってきました。コスタリカやアメリカ南部は、鳥の種類が豊富で、熱帯特有の派手な色彩の鳥がたくさんいるんですよ。適度に都市化が進んでいるため撮影もしやすいので、もう何度も足を運んでいます。フォークランドも遠い国ですが、気に入ったら何度も足を運んでみたいですね。


タンチョウもマガンも何度撮っても飽きませんが、鳥を撮影するのに良い場所をもっと見つけていきたいですね。もし、北海道よりも良い所があったら、大阪から北海道に来た時と同じように移り住むこともあるかもしれません。


宮島沼のマガン


北海道やコスタリカの野鳥や動植物の写真が満載のbirrrdさんのブログ。可愛らしい写真、迫力のある写真、どれも絶妙な瞬間を押さえた写真ばかりです。ほぼ毎日写真を更新されているとのことですので、ぜひ皆さんも『Birrrds!!! 野鳥動物撮影記』をご覧になってください!


タンチョウやマガンなどの北海道の野鳥たちや、コスタリカやパレスチナでのエピソードなど、楽しいお話を色々と聞かせてくださったbirrrdさん。今後は北海道だけでなく、世界各地の鳥の写真もさらに増えていきそうですね!「夢×挑戦ブログ」は、これからもbirrrdさんが素晴らしい写真を撮り続けることを応援していきます!


『Birrrds!!! 野鳥動物撮影記』

2007年9月14日10:30 | | トラックバック (0)

2007年9月 7日(金)

参加者インタビュー第19弾~自分を知るためのシルクロードの旅

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第19回目の「参加者インタビュー」は、『シルクロードを行く』のとりおさんをご紹介。シルクロードを西に旅して行くのが夢だと言うとりおさん。旅をすることにより、「日本」や「日本人としての自分」のルーツを探っておられるそうです。シルクロードの旅を始めたきっかけやその魅力について、色々なお話をお聞きしました!

タクラマカン砂漠を横断する砂漠公路


――シルクロードの旅を始められたきっかけをお教えください


とりおさん(以下、と):これまで、中国やモンゴル、韓国などのアジアの国々を旅してきました。それらの国の遺跡などを見ているうちに、「日本や日本人とは何なのか?」「仏壇や仏様を拝むのはなぜなのか?」「一体それらはどこから来たのか?」と、日本人や日本の仏教・文化のルーツに興味を持つようになりました。色々と調べていくうちに、仏教や文明はシルクロードを経由して日本に伝わってきたということを知り、シルクロードを旅するようになりました。少し前に流行った、いわゆる「自分探しの旅」とも言えますね。


初めてシルクロードに行ったのは7、8年前頃。シルクロードの出発点である中国の西安に行きました。北京や上海はひとつの街としてそこで完結している印象がありましたが、同じ中国でも西安は道の出発点であり、帰ってくる場所でもあることから、空間や時間の流れ、広がりを感じたんです。「その先には一体何があるんだろう」「もっと知りたい」という好奇心を刺激され、これまでに4回ほどシルクロードを旅してきました。


――シルクロードの旅ではどのあたりに行かれたのでしょうか?


と:シルクロードにはいくつものルートがあるのですが、その中でも私はオアシスロードという道を選び、西安、敦煌、トルファン、クチャ、カシュガル(※1)を旅してきました。オアシスロードを選んだのは、石窟寺院(※2)や仏教遺跡などが多く残っているからです。1回行っただけではなかなかその街のことはわからないので、2、3回は同じところに行っています。その都度新しい発見がありますね。


また、シルクロードからちょっと脇道にそれて、パキスタンのガンダーラにも行きました。シルクロードの旅で石窟寺院や仏像を見ているうちに、それらがどこから来たのかという興味もわいてきて、玄奘三蔵(※3)のインドへの道を辿りたいと思ったからです。ガンダーラは1~5世紀頃に仏教が盛んになり、多くの仏像が作られました。ガンダーラの仏教美術は、ギリシャのヘレニズム文化の影響などを受けていることから、仏像もどことなくギリシャ風でホリが深く、今でいうところのイケメン風です(笑)。


※1:トルファン、クチャ、カシュガルは、中華人民共和国新疆ウイグル自治区の地区及び県。
※2:岩山や岩壁を掘るなどして作られた寺院。
※3:げんじょうさんぞう。中国唐代の僧侶で、三蔵法師としても知られる。シルクロードのカシュガルからパキスタン、インドへと旅した。

――これまでの旅でどんなことが得られましたか?


と:外国の文化に触れると「あらためて日本について知りたくなる」と皆さんおっしゃいますが、私もシルクロードの旅を通して「日本に帰ろう」「自分に帰ろう」という気持ちになり、日本の文化にも興味がわいてきました。これまで奈良や京都に興味がなかったんですが、ここ2~3年は毎年行っています。


また、本当に少しずつではありますが、自分探しの方向性も見えてきたと思います。感覚的なことなので上手く言葉にはできませんが、「ここにあって、日本にはないもの」また「ここにあって、日本にもあるもの」が、わかってきたんです。そういった感覚は、写真だけではつかめません。実際に現地にいって、そこの空気を吸い、街角で売っている駄菓子を買い、そこで作られた茶碗で飯を食うことによってつかめるのだと思います。


――今後はどのようにシルクロードの旅への挑戦を続けていかれるのでしょうか?


と:脇道ですが、パキスタンからさらにインドへ行ってみたいですね。シルクロードの石窟寺院のルーツであるアジャンター石窟群やエローラ石窟群(※1)を見てみたいです。それからシルクロードに戻って、カシュガルのさらに西にあるサマルカンド(※2)に進みたいと思っています。


また、去年、今年は仕事の関係でシルクロードに行くことができなかったのですが、そんな時には過去の自分の旅を整理することにより、旅への挑戦を続けています。ブログを始めたのもその一環ですね。たくさん写真を撮っているのに、ブログに書いてみて初めて、「なんであの写真を撮ってこなかったんだろう」と気づくことが良くあります。旅の内容を文章にしてみると、足りなかった部分や、もっとこういう風に旅をすれば良かったと思う部分がたくさん見えてくるんです。


※1:アジャンター石窟群、エローラ石窟群ともに有名なインドの石窟群。エローラ石窟群は世界遺産に指定されている。
※2:中央アジア、ウズベキスタンの古都。


――シルクロードの旅に興味がある方に、何かメッセージをお願いします


と:敦煌に陽関というところがあって、そこは中国の漢代の頃関所だったんですね。もうひとつの関所だった玉門関には今でも遺跡が残っているのですが、陽関は破壊されてしまったため、漢詩などに詠まれて名前は残っていたのですが、どこにあったのか長い間わからなかったんです。ここ20~30年の間に発掘が進み、現在はここが陽関だったんだろうというところに建物が立っているんですが、そこから西の方に広がる砂漠を見ると、「昔の人たちはラクダに乗って、本当にここを旅したんだなぁ」と感銘を受けますね。陽関の建物の写真は本などにも載っていますが、その建物から目の前に広がる砂漠を見ないことには、シルクロードを実感できないと思います。シルクロードの旅に興味がある方は、ぜひそこに行ってみてほしいと思います。


漢詩にも詠まれた漢代の関所・陽関


「シルクロードのタクラマカン砂漠を横断する時に見た夕焼けは本当に感動しました。空全体が濃い朱色に塗り込められて、夕日が砂漠のさらに西の方に少しづつ沈んで行くんです」と、旅の途中で出会った色々なエピソードをお話してくださったとりおさん。どれも楽しいお話ばかりで、すべて書くことができないのが残念です。


次の旅のご予定は?とたずねたら、「来年あたりにまたパキスタンに行きたいですね」とのこと。「もう一度同じところに行くことによって、また違う何かを感じることができるのではないか」と、今から期待もふくらんでいるようです。ぜひ、次の旅も実現されることを「夢×挑戦ブログ」も応援しております!


『シルクロードを行く』

2007年9月 7日10:30 | | トラックバック (0)

2007年8月31日(金)

参加者インタビュー第18弾~新しく見つけた「声優としての自分」

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」第18回目は、『はな姉の養成所生活』のはな姉さんをご紹介。はな姉さんは、会社員・主婦・二児の母という三役をこなしながら、声優・ナレーターを目指して声優養成所に通っておられます。忙しい日々の中、常に明るく前向きなはな姉さんに、声優の夢や毎日の練習について色々とお聞きしました!
※下写真は、はな姉さんがレッスンの時に愛用しているゼッケンとシューズ。

はな姉さんがレッスンの時に愛用しているゼッケンとシューズ


――声優を目指すようになったきっかけをお教えください


はな姉さん(以下、は):声優は小中学生の頃の憧れの職業でした。学校で放送委員をやっていまして、マイクを通した声をほめられたのもきっかけのひとつだったと思います。当時、新聞に声優オーディションの広告が載っていて、ハガキを送ってみようかなと思ったのですが、親にも言えず、結局チャレンジすることはできませんでした。


再び声優の夢にチャレンジしようと思うようになったのは、昨年の秋頃にたまたまあるアニメを見たのがきっかけです。夢を与えるストーリーと、いきいきとしたキャラクターにひきつけられ、出演している声優さんも好きになりました。その頃、ちょうど仕事で悩んでいたこともあって、「私、子どもの頃何をやりたかったんだっけ?」「このまま夢にチャレンジしないでいいのかな?」と色々と考えるようになりました。もちろん、「年齢的なこともあるし、子どもたちもいるし、家族にも協力してもらわなくてはいけない」という迷いもあったのですが、会社の人たちで、まったく別の道に進むために仕事を辞めて専門学校に行ったり、留学したりと、夢を追う人が増えてきたんです。それで、「私もやってみよう!今しかない!」と思い立ち、声優の夢にチャレンジすることになりました。


――今年の4月から声優養成所に通われているんですよね


は:養成所の勉強は、どんな基本的なことでも私にとっては初めて知ることばかりですので、何もかもが新鮮で楽しいです。夢に挑戦して、本格的な勉強を始めることができて、本当に良かったと思っています。今はまだ勉強中の身ではありますが、会社員であり、主婦であり、母親である自分の他に、「声優としての自分」という新しい自分を得ることができました。「響く声を持つ自分」「声の演技ができる自分」と、声を使って色々なことができる自分が増えましたね。それに、夢への挑戦には年齢制限はないと思いました。養成所のクラスメイトは、私よりだいたい10~20歳年下の子たちばかりなのですが、レッスンで与えられるチャンスはみんな平等ですので、年齢は関係ありませんでした。


――ブログを拝見しましたが、すごく積極的にレッスンに参加されていますよね


は:レッスンは週に1回3時間で、1クラス約30人いるんです。一番最初の顔合わせの時に約30人のクラスメイトを見て、「3時間のレッスンでこの人数だったら一人一人に割り振られる時間はすごく少ないはずだから、自分から進んで先生に見てもらわないとダメだ!」と思いました。レッスンは教えてもらう場ではなく、毎日の練習の成果を講師に見てもらう場だと思って、積極的に挙手して発表しています。


だけど、一回だけなぜか遠慮して人に順番をゆずっていたら、自分が発表する前にレッスンが終わってしまったことがあったんです。他の人の発表を見るのも勉強にはなるんですが、やっぱり自分の発表を講師に見てもらえなくては意味がないので、その日は猛反省しました!それからはもう、常に一番に発表するようにしています。


――仕事・家事・育児と忙しい中、毎日どのように練習されているのでしょうか?


は:セリフなどは通勤電車の中で覚え、腹式呼吸や筋トレ、ストレッチなどの体作りは、家事の合間や入浴中などのちょっとした時間を有効活用しています。子どもたちを寝かしつけながら、その間に腹式呼吸したり、腹筋したりもしてるんですよ(笑)。


確かに自由に使える時間が少なくて「もっと練習したい!」と思うこともありますが、私なりに効率良く時間を使えているのではないかと思います。ただ、仕事や家事・育児をしながら声優の勉強ができるのは、家族の協力があってこそですね。レッスンがある日は、実家の両親が代わりに夕食を作ってくれたり、夫がシフト制の仕事に就いているので、休みを調整してくれたりしています。


――ご家族が夢への挑戦に協力してくれるのは素晴らしいことですね!


は:夫は、「声優になりたいの?いいんじゃない」と、初めから協力的でした。以前、夫もそれまでとはまったく異なる職種に転職したことがあったので、やりたいことや好きな道に進むことを理解してくれたんだと思います。実家の両親には最初、「しゃべることの勉強をする学校に行く」と、声優養成所であることを濁していたんですが、なんとなく察知したらしく(笑)、「誰でも一度はやってみたいものなんじゃないの」と認めてくれました。子どもたちも、「ママ、お勉強したいことがあるから、学校に行ってもいいかな?」と聞いたら、「いいよ」と言ってくれました。家族の協力なしには、私はレッスンに通えません。本当に感謝しています。


――今後はどのように夢に挑戦されていくのでしょうか?


は:最近、声を出すだけでなく、体を使った演技の勉強も始まりました。演技はほぼ未経験ですので本当に難しいです!でも、セリフ・動き・感情がひとつになり、相手とも呼吸を合わせられるように、どんどん演技を自分のものにしていきたいと思っています。


また、冬には養成所の進級審査がありますので、まずはそれに合格するのが目標です。それと、養成所を運営しているプロダクションの所属オーディションもあるそうですので、オーディション対象者に選ばれればと思っています。まだ今は夢への入り口から数歩しか進んでいませんので、何年先になるかわかりませんが、私の声の演技でたくさんの人に感動や色々な気持ちを伝えられるようになりたいですね。


ウォーターボトル、電子辞書、アクセント辞典、演技ノートなどのレッスングッズ


「皆様にも元気を分けてあげられるようなブログを書いていきたいです」とはな姉さん。その言葉通り、前向きで何事にも意欲的に取り組むはな姉さんのブログを読んでいると、自分も頑張らねば!とやる気が出てきます。クラスメイトの方にも好評だという『はな姉の養成所生活』。ぜひ皆さんもご覧ください。
※上写真は、ウォーターボトル、電子辞書、アクセント辞典、演技ノートなどのレッスングッズ。


仕事・育児・家事だけでもかなりの忙しさだと思うのですが、さらに夢への挑戦にも努力を惜しまないはな姉さん。はな姉さんの声が、TVなどから聞こえてくる日を「夢×挑戦ブログ」も楽しみにしています。「夢×挑戦ブログ」では、はな姉さんの挑戦をこれからも応援し続けます!


『はな姉の養成所生活』

2007年8月31日10:30 | | トラックバック (2)

2007年8月24日(金)

参加者インタビュー第17弾~そばの普及とそば打ちの技術の向上を目指して

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第17回目の「参加者インタビュー」は、『たかさご会』の徳本理一郎さんをご紹介いたします。徳本さんは、江戸前そばの普及とそば打ち技術の向上を目的とした「たかさご会」の事務局長を務めておられます。そんな徳本さんに、そばの魅力や「たかさご会」の活動内容、これからの夢について、色々なお話をうかがいました。
※下写真は、徳本さんが手打ちした十割そば(左)と卵切り。

徳本さんが手打ちした十割そば(左)と卵切り


――そば打ちを始めたきっかけをお教えください


徳本理一郎さん(以下、徳):そば打ちを始めたのはかれこれ6年くらい前になります。自宅近くに都内でも有名なそば店があって、そこのご主人の打ったそばに感動したのがきっかけです。そこのそばは江戸前そばで、そば粉と水だけで打った「十割そば」なんですが、味、食感、香り、すべてにおいてこれまでに食べたことのない美味しさでした。十割そばは、そば粉自体の味を生かすために小麦粉や山芋といったつなぎを使用しないため、モゾモゾして食べにくいという人もいますが、その店の十割そばはそういった意見を払拭してしまうほど美味しく、まさに目からウロコでした。


それからそこの店に頻繁に通うようになり、ご主人とも親しく話すようになるうちに、ご主人がカルチャーセンターのそば打ち教室で講師をされていることを知って、私も教室に通うようになったんです。だからそこのご主人は、今では私の師匠でもあるわけです。


――徳本さんの夢についてお聞かせください


徳:以前から「仕事を離れ、個人として社会とどう関わって行けるか」と考えていたんですが、師匠の打つそばに出会ったことにより、江戸前の手打ちそばを貴重な日本の文化としてとらえ、その技術を深めることにより、社会になんらかの貢献ができないかと思うようになりました。


現在は、そばの普及とそば打ち技術の向上を目的とした「たかさご会」を運営しています。2年前に師匠と相談して、そば打ち教室の生徒さんたちやOBの方たちとの交流を深めるために結成したものです。主にそば作りやそば打ち合宿をしており、今では70~80名の会員がいます。私は事務局長を務めさせていただいており、「たかさご会」のブログも結成時に私が作って管理人として運営しています。


――そば打ちだけでなく、そば作りもされているんですね


徳:東京都西多摩郡の檜原村で畑を借りて作っています。そばは稲作をしていない土地で栽培した方が美味しくできるんですが、檜原村で借りている畑はまさに山間部の手つかずの土地なんです。また、朝夕の寒暖の差や、水はけの良い土壌もそばの栽培に適しているので、美味しいそばを育てることができます。そばは、毎年8月頭から後半にかけて種をまき、11月頭頃に収穫します。収穫したそばの実は脱穀・製粉した後に、参加者に分配されます。また毎年恒例の1泊2日のそば打ち合宿では、みんなでそばを打ち、お互いに批評しあってるんですよ。


――今はちょうどそば作りに励んでおられる最中なんですね


徳:そうです。畑作業は肉体的に結構ハードな時がありますね。地元のお年寄りの方たちは、くわを巧みに使って耕しているのですが、私などは素人なのでついつい力任せにくわを振ってしまうため、よけいに疲れてしまうようです。反面、土いじりはストレス解消になっています。もともとは土いじりは苦手だったのですが、自然の中で体を動かす機会もあまりありませんので精神的にリフレッシュできるようです。もちろん、自分で作ったものを収穫できるという楽しみもありますね。


――夢に挑戦し続けていく中で得られたものはありますか?


徳:やればやるほどそば打ちの奥深さがわかってきました。そばは、素材となるそば粉はもちろん、その日の気温や湿度などで、微妙に打ちあがりが変わるんです。同じそば粉を使っても、この前は上手くいったのに、今日は失敗だったということもよくあるんですよ。そば打ちのコツは理屈ではなく感覚ですので、どんどんそばを打ってつかんでいくしかありません。


また、そば打ちを通して仲間が増えたことも財産となっています。「たかさご会」は、同じ趣味を共有する方々と有意義なネットワークを築ける場所となっています。また、畑を貸してくださっている檜原村のみなさんにはとても感謝しています。檜原村でお祭りなどがある時は、地元のみなさんへの感謝の気持ちを込めて、そば店を出店しています。なかなか好評なようで「今年も出しているんだね」と覚えてくれる方もいますね。


――今後はどのように夢に挑戦されていくのでしょうか?


徳:たかさご会の会員の中には、すでに地域ボランティアとして老人ホームなどを訪問し、そば打ちをしている方がいらっしゃいます。いずれは私もそば打ちを通して地域社会に貢献できればと考えています。


始めた頃はそばが上手くつながらず、太くて短いそばしか打てなかった私ですが、最近はみなさんに美味しいと言ってもらえるようになり、昨年の暮からカルチャーセンターのそば打ち教室の講師の依頼が来るようになりました。また、人に頼まれ出張そば打ちに出かけたりするようにもなり、あちこちでそばを打つ機会が増えてきています。でも、今後もそば打ち文化と技術を極めるという初心を忘れずに、精進していきたいと思っています。それと、これからはそばを中心に、その周辺の日本料理も作ってみたいと考えています。もともと料理は好きですし、以前はお寿司を習っていたこともありますので、いずれは懐石料理も作ってみたいですね。


檜原村でそばを収穫するたかさご会のみなさん。後列一番左が徳本さん


本文中ではご紹介できませんでしたが、『たかさご会』のブログには、そば打ち教室の様子も詳細に報告されており、胡麻そば、ヨモギそば、茶そば、卵切り、柚切りなどの「変わりそば」が紹介されています。そば好きの方は思わず食べてみたいと思う品々ばかり。ぜひ、みなさんもブログをご覧ください!
※上写真は、檜原村でそばを収穫するたかさご会のみなさん。後列一番左が徳本さんです。


現在、徳本さんとたかさご会のみなさんは、11月の収穫を目指してそば作りに励まれるとのこと。今年のそばの味はどうなるんでしょう?美味しいそばが収穫できることを願っております。「夢×挑戦ブログ」では、今後も徳本さんとたかさご会のみなさんの活動を応援していきます!


『たかさご会』

2007年8月24日10:30 | | トラックバック (1)

2007年8月17日(金)

参加者インタビュー第16弾~ミニチュア粘土でつくる美味しい世界

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

いつも「参加者インタビュー」をご覧いただき、誠にありがとうございます。第16回目の今回は、『A's miniature 製作日記』のあり☆さんをご紹介!あり☆さんは、ミニチュア粘土で本物そっくりのパンやドーナツ、ケーキなどの食べ物を作っています。作品を作り始めたきっかけやこれからの夢について、色々とお聞きしました!
※下写真は、あり☆さんが作ったミニチュア粘土作品。

あり☆さんが作ったミニチュア粘土作品


――ミニチュア粘土を作り始めたきっかけを教えてください


あり☆さん(以下、あ):小さい頃からレストランのショーウィンドウに飾られている食品サンプルが大好きだったんです。パフェとかスパゲッティとか、食べられないのが不思議なくらい本物そっくりにできてますよね!見ているだけで幸せな気分になれるんです。


欲しいなぁとはずっと思っていたんですけど、大きいし高いし、食品サンプルを買うのは無理だとあきらめていました。でも、2年半くらい前にスーパーで、いわゆる食玩(玩具付き菓子)でミニチュアの食品シリーズがあるのを見かけ、ひと箱試しに買ってみたんです。開けてみたら小さいのに本物の食べ物そっくりのミニチュアが出てきて、そのあまりの出来の良さにびっくりしてしまい、あっという間にコレクターになってしまいました。今では1000種類以上が集まり、衣装ケースに入れて保管しています。


そんな風にして集めているうちに、「お気に入りのミニチュアを真似して作ってみたい」「まだミニチュアになっていない食べ物を自分で作ってみたい」と思うようになり、1年半ぐらい前からミニチュア粘土を始めました。


――ミニチュア粘土教室などもあるようですが、あり☆さんも通われているのでしょうか?


あ:いいえ、近くに教室がないのと、子供がまだ0歳と2歳で目が離せないので、自宅で独学で勉強しています。ミニチュア粘土の本を読んで作り方を覚えたり、同じ様にミニチュア粘土作りをしている方たちのブログやホームページを参考にしてコツをつかんだりしています。また、ミニチュア粘土の本は作り方を丁寧に教えてくれるんですが、作りたいなぁと思う食べ物はお料理の本の方がいっぱい載っていますから、作品作りの時にはミニチュア粘土の本とお料理の本を両方並べて作っています。


――あり☆さんの夢を教えてください


あ:ミニチュア粘土の講師になることです。具体的に講師になろうと思ったのは結構最近のことですが、ミニチュア粘土作りを始めた頃から、どうせやるなら何か目標のようなものがあった方がいいと思っていたんです。実家の母が洋菓子の師範の資格、義理の姉がフラワーアレンジメントとラッピングの講師の資格を持っていて、二人とも趣味を仕事にしているんですね。私もできたら、好きなことを仕事にしたいという憧れの気持ちがあったんだと思います。


講師になるには、日本ドールハウス協会(※)が実施している技術認定試験に合格しなくてはいけません。技術認定試験は、初級、中級、上級A・B・Cの試験に合格して、やっと講師の資格試験が受けられます。私は6月に初級に合格したばかりですので、地道にやっていきたいですね。資格が取ればすぐに教室が開けるわけではありませんが、結婚して主婦になってから、なにか物足りない感じがしていましたので、何もない毎日よりも目標を持ってなにかに取り組んでいる方がいいかなと思ってます。
※ドールハウスはミニチュアサイズの人形の家のこと。家具や調度品などもミニチュアサイズで精巧に作られる。日本ドールハウス協会は1997年5月に発足。


――夢に挑戦する中で、大変なことはありますか?


あ:とにかく子どもが小さいですし、家事もありますので、いかに効率良く時間を使って、作品作りの時間をひねり出すかですね。まず毎日作品作りはできません。できても1日に1~2時間程度。それもまとまった時間に集中してやるのではなく、10分やったら子どもの面倒を見たり家事をして、戻ってきてちょこちょこっとやって、また家事をして…といった感じですね。トータルで見ると1時間半でも、実際は30分ずつ細切れで作業してたりするんですよ。だから作品作りができる時間は、子どもがまだ寝ている朝の早いうちとか、昼寝の時とか、夜早く寝た時とかになりますね。どうしても子ども中心になってしまいます。


作った作品をうっかり子どもにつぶされてしまったこともあります。クロワッサンを作っていたのですが、1個作るのに10分くらいかかるんですよ。それを10個ぐらい作って、一息つこうとトイレに行って戻ってきたら、指でプシュプシュとつぶしていました(笑)。怒るに怒れないんですけど…、悲しかったですね。でも、上の子に作ったプチトマトとかを見せて、「これはなんだと思う?」とか聞いたりもしてますよ。「美味しそう」って言ってもらえると、とても嬉しいですね。


――これから作ってみたい作品はありますか?


あ:今後は「美味しそう」と思ったものをすぐに作れるようになりたいです。今は「美味しそう」「作りたい」と思っても、技術的に難しくて作るのをあきらめてしまうことも多いのですが、今後は料理の本を開いて、「あっこれ作りたい」と思ったら、パッと作れるようになれたらと思っています。


あと、ミニチュア粘土の講師の他にもうひとつ夢がありまして、ドールハウスを作りたいと思っているんです。粘土が上達したら家具なども作り始めたいですね。ただ、ドールハウスは大きいですし、木工なので道具も揃えなくてはいけないですし、立派なものを作ろうとするとそれなりの金額がかかってしまうんです。今はまだ子どもたちが小さいので無理かなと思っているんですが、将来的には作ってみたいですね。


制作風景。プチトマトの小ささにはびっくりです。


デコレーションケーキの直径は、なんと1円玉と同じくらい。その上に乗っているイチゴやブルーベリーなどのフルーツ類は、一体どれくらいの大きさなんでしょうか!?そんな驚きの小ささなのに、写真で見ると実物と見間違えてしまうほどにリアルに出来ています。ぜひ、みなさんも『A's miniature 製作日記』をご覧ください!
※上写真は、制作風景。プチトマトの小ささにはびっくりです。


最近は、日本ドールハウス協会認定技術試験の中級合格を目指して作品作りに励んでいるというあり☆さん。お子さんがまだまだ小さいため、なかなか時間がとれないとのことですが、ぜひ講師目指して今後も頑張ってください!「夢×挑戦ブログ」は、あり☆さんの挑戦を応援しています!


『A's miniature 製作日記』

2007年8月17日10:30 | | トラックバック (2)

2007年8月10日(金)

参加者インタビュー第15弾~サンボの可能性を多くの人に伝えたい!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」第15回目の今回は、『サンビスト守屋直樹の「マットに立とう」』の守屋直樹さんをご紹介いたします!サンボという格闘技の選手である守屋さんは、サンボと出会ったことによって、これまでの価値観が大きく変わったとのこと。そんな守屋さんに、サンボの魅力やこれからの夢についてお聞きしました!

旧ソビエト連邦で生まれた格闘技・サンボ


――まずは「サンボ」についてお教えください


守屋直樹さん(以下、守):サンボは旧ソビエト連邦で生まれた格闘技です。旧ソ連はいくつかの共和国から構成された国ですので、共通の国民意識を持たせるために国技として制定されました。日本の格闘技でいうと比較的柔道に近く、相手を投げたり、関節技を決めたりする競技です。


――サンボを始めたきっかけは?


守:学生の頃、雑誌などで「サンボ」という格闘技があることは知っていたんですが、興味があっても身近に習える場所がありませんでした。それから社会人になり、就職で東京に引っ越したら、たまたま近所にサンボが習える道場があったんです。見学に行って初めて生でサンボを見てみて、すごく面白そうだなと思い、その場で即入会しました。


実は、それまで格闘技を見るのは好きだったんですが、やったことはまったくなかったんです。スポーツはと言えば小学校から高校まで野球一筋で、まさか将来自分が格闘技をやるなんて思ってもみませんでした(笑)。しかも、当時のサンボは柔道やレスリングをやっている人が始めることが多かったので、サンボから格闘技を始めたという私は、サンボをやっている人たちの中でも珍しいタイプだったようです。


――現在はどのような活動をされているのでしょうか?


守:M-WORKSというサークルを主宰し、基本週2回のペースで練習を行っています。1996年に仕事の都合で今住んでいる大阪に来たのですが、大阪にはサンボを習える道場がなく、もちろん一緒に練習してくれる相手もいませんでしたので、しばらくの間フィットネスクラブで一人でトレーニングしていました。そんな時、同じフィットネスクラブの会員さんの一人が、「サンボをやってみたい」と声をかけてきてくれたんです!それから二人で練習をするようになり、だんだんと人数が増え、2002年にM-WORKSを発足しました。私がサンボを始めたのも、たまたま身近に練習場所があったのがきっかけですので、サンボをやってみたいけれど練習する場所がないという人たちのきっかけになれればと思っています。


M-WORKSは現在、正規のメンバーが11名。練習時には出稽古で参加してくる人たちもいるので、もっと大人数になることもあります。私は主宰者ですが、サンボは一生勉強だと思っていますので、指導者というよりも代表といった感じでみんなと一緒に練習に励み、日々新しい技を勉強しています。


――守屋さんの夢を教えてください


守:サンボをやっていく中で色々な技が身についていくのはもちろん、精神性も身につき、これまでの価値観が大きく変わりました。野球少年だった頃、憧れるのはいつもプロ野球選手ばかりで、身近な先輩などに憧れるということがまったくなかったんです。でも、サンボを始めてから、生まれて初めて先輩に憧れを抱きました。この人は本当にすごい、この人みたいなサンボをやってみたいと、強く影響を受けましたね。これまでにそういった感情を身近な人に抱いたことがなかったので、自分の中で価値観が一変しました。今では、自分より年下の人でも、強ければ素直に「強い」と認められるようになりました。それに、同じようにサンボをやっている人たちをはじめ、何かを一生懸命やっている人たちの気持ちや、人ぞれぞれの価値観が理解できるようになりました。


こんな風に自分を変えてくれたサンボには、とてつもなく大きな可能性を感じています。将来的には、サンボを通して社会に貢献することにより、世間でのサンボの認知度を高めるとともに、安全・安心・平和な社会を作れればと考えています。


――夢を達成するには、どんなことが重要だと思いますか?


守:何があっても絶対あきらめないことだと思います。これまで、練習や試合が辛いと思ったことは一度もないんですが、サンボが世間一般に知られていないことには結構辛い思いをしました。「何をやっている人」なのかよくわからないため、「何を考えているのかよくわからない人」という目で見られてしまうこともありましたね。でも、サンボをあきらめようと思ったことは一度もありません。


――これからはどのように夢への挑戦を続けていかれるのでしょうか?


守:選手として、よりレベルの高い技を習得したいと思っています。日本のサンボの選手は、柔道やレスリングの経験者が多いため、それらの技を引きずっている場合が多いんです。サンボ一筋という人は本当に少ない。だから、「これがサンボだ!」というような技を身につけ、柔道ともレスリングとも違う「純粋なサンボ」を知ってもらいたいと思っています。


あと、多くの人がサンボを体験できる環境を作りたいですね。今、中学生がサークルの最年少メンバーとして参加しているんですが、将来的には小学生やもっと小さいお子さんにも教えるようになり、底辺の部分からサンボを広げていきたいと思っています。


練習試合で訪れたサンボの本場・ロシアのハバロフスクにて(左が守屋さん)


「サンボは生活の一部になっています」という守屋さん。日々のサンボの練習も、今では「ご飯を食べたり、寝たりするのと同じ感覚になっている」とのこと。『サンビスト守屋直樹の「マットに立とう」』のブログでは、そんな守屋さんの日々を垣間見ることができます。みなさんもぜひご覧ください!
※上写真は、練習試合で訪れたサンボの本場・ロシアのハバロフスクにて(左が守屋さん)。


最後に、「誰よりも不器用な私は、夢の達成に誰よりも時間がかかると思いますが、私は絶対にあきらめたりしません」というメッセージをくれた守屋さん。「夢×挑戦ブログ」では、守屋さんの挑戦をこれからもずっと応援していきたいと思っています!


『サンビスト守屋直樹の「マットに立とう」』

2007年8月10日10:30 | | トラックバック (1)

2007年8月 3日(金)

参加者インタビュー第14弾~「ゴクゴクの日」でもっと笑顔を増やしたい!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」第14回目は、『ゴクゴクの日』のちえさんをご紹介!ちえさんは、5月9日をビールをゴクゴクと飲む「ゴクゴクの日」という記念日に制定し、毎年イベントを行っています。「酒と食に関する情熱」が原動力というちえさんに、「ゴクゴクの日」やお酒、お料理などについて、色々なお話をお聞きしました!

5月9日はビールをゴクゴク飲む「ゴクゴクの日」!


――5月9日の「ゴクゴクの日」とは、どんな日なのでしょうか?


ちえさん(以下、ち):初夏の日ざしが気持ち良くなる5月9日に、「家や屋外でビールなどをゴクゴク飲んで爽快感を味わう」という日です。2005年に私が日本記念日協会に申請し、受理された記念日です。前々から、「5月9日はゴクゴクの日!」と内輪で言っていたのですが、日本記念日協会に登録したことにより、ラジオやフリーペーパーなどにも注目され、取り上げてもらえました。申請して本当に良かったと思います。


――「ゴクゴクの日」を申請しようと思ったきっかけは?


ち:「酒と食を通じて、人を良くする」をテーマに、セミナーやサロンを開くのが夢なんですが、「ゴクゴクの日」はその第一歩として、「まずは最初の一杯から笑顔を増やしたい!」という意味を込めて申請しました。


私は、「お酒と料理の幸せな出会い」つまり、美味しいお酒と料理の組み合わせを紹介することで、多くの人に笑顔になってもらいたいと思っています。ビールには、「お酒と食べ物を美味しく味わうための最初の一杯」「今日も一日お疲れ様でしたの最初の一杯」といった、「笑顔が広がるための最初の一杯」といった役割があると思うんですよね。


――「ゴクゴクの日」には、どんなことを行われているのでしょうか?


ち:2005、2006年はトラックバックイベントを開催し、たくさんの方から「ゴクゴクの日」のレポートをトラックバックしていただきました。今年はトラックバックイベントとともに、初めてのオフ会も開催しました。


オフ会に来て下さった方たちはほとんどが初対面の方たちで、私も実際にお会いするのは初めての方が多かったんですが、一杯目の乾杯をしたら、皆さんあっという間に何年も前からの知り合いのように打ち解けていました(笑)。年齢層も20~60代と幅広く、共通するバックグラウンドもありませんから、最初はちょっと「どうなるかな~」と心配しましたが、年齢層が違っても、共通項がなくても、「お酒が好き」「ゴクゴク飲みたい」という気持ちだけで、楽しく語り合うことができるんですね。こんな風に人と人との距離を縮めてくれるというのも、お酒が大好きな理由のひとつです。


――夢は「酒と食を通じて、人を良くする」をテーマに、セミナーやサロンを開くことだそうですが


ち:「お酒=不健康」というイメージを払拭すべく、これまで通りの「ビール&揚げ物」といった食べ方・飲み方ではなく、野菜が主役のおつまみを提案したいと思っています。お酒で体を悪くするのは、お酒が悪いのではなく、食べ方・飲み方に問題があると思うんですよね。


実は私自身もマクロビオティック(※1)を食生活に取り入れていまして、マクロビオティックの学校の師範科も卒業しているんですよ。マクロビオティックを始めたのは、健康でなくては美味しいお酒を味わえない、そのためには体の中身の土台をしっかり作ろうと思ったからです。お酒も飲むしお肉も食べるので、厳密な意味でのマクロビオティックを実践しているとは言えませんが(※2)、「お酒=不健康」というイメージをなくすためにも、まずは自分が健康でなければと思い、普段は玄米菜食の一汁一菜の食生活を送っています。

※1:マクロビオティック(Macrobiotic)は「長寿食」「食養料理」「自然食」という意味で、日本CI協会の創設者・桜沢如一氏が提唱した食事法。玄米、野菜、海草、豆、伝統的な調味料といった食材を使う。

※2:マクロビオティックでは、肉類など動物性食品は原則禁止。酒類も少量に制限されている。


――夢を達成するためにはどんなことが重要だと思いますか?


ち:ただの「酒好き」に終わらないように常に知識のブラッシュアップをはかり、ブログなどでわかりやすく解説し、皆さんのためになるように努力しています。現在、「きき酒師」「ワインエキスパート」「チーズプロフェッショナル」などのお酒にまつわる資格を持っているんですが、それにあぐらをかくことなく、常に最新の知識を蓄えようと、毎朝4時に起きて勉強しています。もちろん、飲み会などで遅くなった日の翌日は無理ですが(笑)。朝早い方が頭がすっきりしていて有意義に時間が使えますね。色々なアイデアがどんどん浮かんでくるんですよ。


――これからビールの美味しい季節がやってきますが、「ゴクゴクの日」の今後の活動予定などありましたらお教えください


ち:「裏ゴクゴクの日」と称して、9月5日にこっそりイベントをやろうと計画中です。夏も終わりに近づく9月5日に、ビールをがつんと飲んで夏バテを吹き飛ばすようなイベントをブログ&リアルで開催いたしますので、どうぞお楽しみに!


今後の展開としては、ビールの出荷量を上げるためにも、「ゴクゴクの日」をさらに盛り上げていきたいと思っています。今年のオフ会は11人集まりましたが、どんどん規模を拡大していって、毎年5月9日はビールの出荷量がドーンと増えているなんてことになったら良いですね!そして、「5月9日=ゴクゴクの日」を日本中に広めて、将来は「土用の丑の日=うなぎ」と同じように、「ゴクゴクの日=ビール」と思ってもらえるようになりたいです。


ちえさんによるマクロビオティック料理


「ゴクゴクの日」の記念日登録、数々の資格取得、マクロビオティックの実践などなど、大好きなお酒のためなら、「思いついたら即実行!」というちえさん。本業もお忙しいとのことですが、パン教室の講師などもされているとのこと。しかも、毎朝4時に起きて勉強と、本当にバイタリティのある方です!
※上写真は、ちえさんによるマクロビオティック料理。


9月5日にもイベントを計画されているとのことで、「ゴクゴクの日」の活動からは今後も目が離せません。皆さんもぜひブログをチェックしてみてください!「夢×挑戦ブログ」も、ちえさんと「ゴクゴクの日」にこれからも注目し続けます!


『ゴクゴクの日』

2007年8月 3日10:30 | | トラックバック (2)

2007年7月27日(金)

参加者インタビュー第13弾~エコツーリズムでまちおこし!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

「参加者インタビュー」第13回目は、『エコタンすのっぴの孤軍奮闘!』の春原秀樹さんをご紹介いたします!春原さんは、埼玉県の飯能市役所エコツーリズム推進室の担当者。エコツーリズムによる「まちづくり、まちおこし」のために、お仕事はもちろんのこと、プライベートでも資格取得を目指して試験に挑戦するなど、精力的に活動されています!
※下写真は、人気ガイド“白子五人衆”主催のエコツアーの模様。

人気ガイド“白子五人衆”主催のエコツアーの模様


――エコツーリズム推進室のお仕事の内容を教えてください


春原秀樹さん(以下、春):飯能市では、飯能名栗地区が「里地里山の身近な自然、地域の産業や生活文化を活用した取り組み」のエコツーリズムモデル地区として2004年に環境省に指定されたことにより、エコツーリズムへの取り組みを開始しました。エコツーリズムとは、「地域の自然環境や歴史文化を体験・学ぶとともに、その保全に責任を持つ」という観光のあり方です。エコツーリズムの考え方を踏まえた観光を「エコツアー」と言います。


エコツーリズム推進室は、エコツアーの実施をメインの仕事とし、NPOや市民団体が企画したエコツアーを環境整備、法整備、PR活動といった面からバックアップしています。また、エコツーリズムには普通の観光とは違って、環境を損なってはいけない等の守らなければならないポイントがありますので、ツアーがエコツーリズムの概念から外れないように手助けするのも仕事です。


ほかに、エコツアーのガイドを養成するために、エコツーリズムの考え方や飯能市の名栗地区の自然や歴史文化について学ぶオープンカレッジを開催したり、エコツーリズムやまちづくりについて気軽に語り合ったり、交流するためのエコツーリズムサロンを開催しています。


――夢は「エコツーリズムでまちづくり、まちおこし」だそうですね


春:もともと民間のゼネコン会社に勤めていたのですが、仕事柄ひとつの工事が終わったらもう次の現場に行くといった感じでしたので、もっとひとつの地域に根を張って、その地域に貢献できるような仕事がしたいと思うようになり、4年前に地元である飯能市役所の経験者採用試験を受けて転職しました。


これまでの民間での経験を生かして地元の役に立ちたい、「まちづくり、まちおこし」をしたいという想いから市役所に転職しましたので、エコツーリズムの担当になったときには、それまで経験してきた仕事とは畑が違うため初めは少し戸惑いました。でも、エコツーリズムは地域の環境を保全して観光業によって地域経済を活性させ、環境と地域の人々の暮らしを守ることを目的としていますので、自分のやりたかったまちづくり、まちおこしができると、今ではやりがいを感じています。


――エコツアーの参加者はどのような方たちなのでしょうか?


春:これが意外に、参加者の半分が地元飯能市の方たちなんですよ。自分が住んでいる地域のことって、案外知らないものなんですよね。自分の故郷のことを見直したい、自分の故郷のよさを知りたいという方々が参加してくれます。あと、新しく飯能市に引っ越してきた方なども参加されています。


自分自身、飯能の町中の方に住んでいますので、山間部の奥の方には行ったことがなかったんですが、仕事であらためて行ってみて、珍しい花や関東では珍しいブナの巨木、荒川の源流などがあることを知りました。


――エコツーリズムにたずさわることによって、どんなことを得ることができましたか?


春:今まで知ることのできなかった町の色々な魅力と、個性あふれる情熱的な方々との出会いですね。エコツアーによって、伝統工芸である飯能焼きの陶芸家の先生や炭焼き名人の方、草木染めの染色工房の方、人気ガイドの“白子五人衆”の皆さんなど、たくさんの方々と知り合うことができました。


エコツーリズムもまちづくりも、成功させるためには人と人とのつながりがとても大切だと思っています。エコツーリズムの仕事をはじめてから、エコツーリズムを実施している他県を訪ねたり、さまざまなシンポジウムやセミナーに参加してきましたが、エコツーリズムが軌道に乗っている自治体は、そこに住む方たちの思いがひとつになっているという印象があります。たとえどんなに良いシステムや組織を組み立てても、一部の人たちが情熱を持ってやっているだけでは決してうまくいかないんです。その町に住む人たちの思いがつながってこそ、はじめてうまくいくんだと思います。


――これから挑戦したいことについてお教えください


春:現在、エコツーリズムをさらに推進するために、エコツーリズムセンターという民間の観光会社を起こすことを検討しています。そのためにも旅行業務についてもっと知っておく必要がありますので、「国内旅行業務取扱管理者」の資格取得のため、4月から旅行関係の夜間講座に通っています。9月には資格試験がありますので、これからがちょうど追い込みですね。


夕張市が財政破綻してしまったように、財政危機に瀕している地方自治体が増えています。財源を立て直すためにエコツーリズムを採用する自治体も多くなってきていますが、エコツーリズムやまちづくりに取り組むか取り組まないかで、財政面での差は確実に出てくると思います。エコツーリズムやまちづくりは、草の根的で地道な積み重ねかもしれませんが、いつかかならず実を結ぶと私は信じています。


毎月1回開催されているエコツーリズムサロン。手前でキーボードを弾いている方が春原さん


これからますます盛んになっていきそうなエコツーリズムですが、エコツーリズムという言葉自体があまり浸透していないのと、エコツーリズムの定義の幅が広いため、「なかなか理解されにくい」と春原さん。エコツーリズムに興味を持った方は、ぜひ『エコタンすのっぴの孤軍奮闘!』をご覧ください!春原さんの日々の奮闘ぶりとともに、飯能市の自然や文化を知ることができるエコツアーのレポートも掲載されており、エコツアーに参加してみたくなります。
※上写真は、毎月1回開催されているエコツーリズムサロン。手前でキーボードを弾いている方が春原さんです。


『夢×挑戦ブログ』では、今後も春原さんのまちづくりとエコツーリズムへの取り組みを応援しています。9月の「国内旅行業務取扱管理者」の資格試験もがんばってください!


『エコタンすのっぴの孤軍奮闘!』

2007年7月27日10:30 | | トラックバック (0)

2007年7月20日(金)

参加者インタビュー第12弾~憧れの作業療法士まで、あと一歩!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

毎回、ご好評をいただいている「参加者インタビュー」。第12回目は、『OTたまご ~ブルの日々~』のブルさんをご紹介いたします!ブルさんは現在、作業療法士(Occupational Therapist;略名OT)の学校に通う学生さんで、勉強に実習にと忙しい日々を送っています。そんなブルさんに、作業療法士の仕事や実習について、色々なお話をお聞きしました。
※下写真は、ブルさんの実習服。

ブルさんの実習服


――作業療法士になりたいと思ったきっかけを教えてください


ブルさん(以下、ブ):小学生ぐらいの頃から人の役に立つ仕事がしたいと思い、お医者さんや看護師さんなど、医療系の仕事に憧れていました。その頃はまだ漠然としたものでしたが、高校生になって進路を決める時に、担任の先生に将来は医療系の道に進みたいと相談したところ、これからはもっとリハビリが必要とされる時代になるだろうからと、作業療法士の仕事を紹介されたんです。リハビリにたずさわる仕事には、理学療法士(※1)、言語聴覚士(※2)などありますが、「患者さんと一緒に楽しみながら作業することによってリハビリを行う」という作業療法士の仕事に興味を持ち、やってみたいと思ったんです。
※1:身体的な障害を持つ人の基本的動作能力の回復を図るため、体操や運動等の理学療法を行う。
※2:音声・言語機能、聴覚等に障害を持つ人の機能の維持向上を図るため、各種訓練や援助を行う。


――作業療法士とは具体的にどのようなお仕事なのでしょうか?


ブ:身体や精神に障害を持つ方たちの動作や社会的適応能力の回復を図るために、陶芸、手芸、木工などの作業を通して手先を動かす練習や訓練を行います。さらに、お箸の使い方だとか字の書き方といった日常的な動作の訓練を行ったり、ご自宅のトイレが利用しにくければ住宅改修を行うなど、患者さんの生活の質を向上させるために、生活全般を考えて幅広くサポートするのが仕事です。


そのため、勉強の内容も作業療法についてはもちろん、解剖学、生理学といった医学的なものから生活環境に関するものまでと、幅広く勉強することになります。また、臨床実習で数週間病院に行くこともあります。


――つい最近も実習に行かれていたそうですね


ブ:今月の7日まで、9週間の実習で病院のリハビリセンターに通っていました。実際に患者さんを担当させていただいたのですが、患者さんとのコミュニケーションや治療を通して、自分の経験と知識の足りなさを痛感する毎日でした。言語障害のある患者さんとお話していても、その方の話していることがなかなか理解できず、もどかしい思いをさせてしまったり、認知症の患者さんの興味をひきつけようとしても、上手くタイミングがつかめなかったり…。あと、病院での業務が終わってからも、実習の内容をレポートにまとめたり、課題があったりと、夜もやることがいっぱいあって寝不足気味の毎日でした。


大変な反面、先生たちは尊敬できる方たちばかりでしたし、別の学校から実習にきた学生の子たちとも仲良くなって、励ましあったり情報交換したりと、楽しいことも色々とありました。


――夢は「作業療法士という職業を広く世間に知ってもらうこと」だそうですが


ブ:昨年実施されたリハビリ日数を制限する診療報酬改正などもそうですが、今、医療費を削減しようとリハビリ分野の見直しが検討されています。そのため、少し前まで数が足りないと言われていた作業療法士に対して、一部では逆に「必要ないのでは?」という声も上がってきているそうです。


作業療法士の仕事は、患者さんの生活の質を上げるために必要な仕事だと思うんです。その必要性を認識してもらうためにも、必ずプロの作業療法士になって、作業療法士とはどんな仕事なのかを多くの人に知ってもらいたいと思っています。


――夢を実現するために、一番重要だと思うことはなんですか?


ブ:とにかく体力です。実は、去年の実習中に体調を崩してしまい、今年の3月まで学校を休んでいたんです。患者さんを元気にする仕事なので、まず自分が元気でないといけないと思っています。


でも、その時はつらい思いをしましたが、今は病気をしたことは無駄じゃなかったと思っています。苦しい思いをしたことによって、患者さんの気持ちにより近づけるようになれた気がします。無駄じゃなかったというより、無駄にしてはいけないって感じですね。今は、何事もなく過ごしてきた自分よりも、一度病気をしてつまづいた自分の方が、もっと良い作業療法士になれるのではないかと思っています。


――プロの作業療法士として活躍する日が待ち遠しいですね


ブ:私は4年制の学校に通っていて、現在最終学年です。しばらくしたらまた実習が始まり、その実習を終えたら来年3月の国家試験に向けて勉強の毎日となります。国家試験に合格すれば、いよいよプロの作業療法士です。


実習は確かに大変でしたが、昨日できなかったことが今日できるようになったり、患者さんが「あなたがいてくれて良かった」と言ってくれたりと、毎日が小さな感動の連続でした。プロの作業療法士になったら、患者さんとの日々のかかわりの中で、また色々な出来事があるんだろうなと思っています。


作業療法士の勉強で使用している教科書の数々


作業療法士と聞いてもどんな仕事をするのかパッと思い浮かべることができませんでしたが、今回ブルさん色々とお聞きして、リハビリを必要としている患者さんにとって、とても大切な存在だということがよくわかりました。『OTたまご ~ブルの日々~』というブログも、作業療法士を目指す学生の奮闘記をつづることにより、作業療法士という仕事を知ってもらおうと始められたのだそうです。
※上写真は、作業療法士の勉強で使用している教科書の数々。


ブルさんには、ぜひプロの作業療法士となって、多くの人に作業療法士という職業の素晴らしさを伝えてほしいと思います。『夢×挑戦ブログ』では、今後もブルさんの夢を応援します。3月の国家試験がんばってください!みなさんもぜひ、ブルさんに応援メッセージを送ってくださいね。


『OTたまご ~ブルの日記~』

2007年7月20日10:30 | | トラックバック (1)

2007年7月13日(金)

参加者インタビュー第11弾~キンボールの楽しさをもっと多くの人に!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第11回目の「参加者インタビュー」では、『キンボールと海と私』の清水学さんをご紹介いたします。キンボールは1986年にカナダで生まれたニュースポーツで、日本には今からちょうど10年前の1997年に紹介されたそうです。キンボールというスポーツの魅力について、いろいろなお話をお聞きしました!
※下写真は、清水さん(左側の緑色のTシャツの方)とキンボール仲間のみなさん。

清水さん(左側の緑色のTシャツの方)とキンボール仲間のみなさん


――まずはキンボールというスポーツについて簡単にご説明ください


清水学さん(以下、清):キンボールは、122cmという大きなボールを使って、1チーム4名で3チームがコートの中で対戦します。ヒットとレシーブを繰り返し、失敗すると他の2チームに得点が与えられるというゲームです。ヒットする時に「オムニキン」(※)と大きな声で言わなくてはならないなど、声を出すルールがあるのも特徴です。
※英語で「すべての」という意味の「OMNI(present)」と「運動感性」という意味の「KIN」を合わせた造語。


――キンボールとはどのようにして出会ったんですか?


清:出会ったのは6年前の2001年ですね。もともと水泳をメインに体育指導委員としてスポーツの指導をしていて、その指導委員の講習会で紹介されたんです。キンボールは何回かパスの練習をしただけで、すぐに試合に参加できるスポーツなんですよ。その時もパスの練習をして、すぐに簡単な試合をしたんですが、正直、初めはあまり馴染めなかったんです。声を出すというのも初めてでしたし、ボールの大きさにも戸惑いました。


でも、3ヶ月後にまた講習会で試合をして、そこでやっと「キンボールは自分に合っているのかも」と感じたんです。それまでずっと水泳をやってきて、水泳一辺倒になりたくないと考えていたこともあって、キンボールを始めることにしたんです。


――キンボールの魅力はどんなところにあると思いますか?


清:本当に今までにないスポーツだと思います。例えば、ソフトバレーボールという新しいスポーツがありますが、その名の通りバレーボールが基になっていますので、バレーボール経験者がプレーする方が断然有利なわけです。でも、キンボールはまったく新しいスポーツですので、球技の経験の有無はまったく関係ありません。誰もが同じスタートラインから参加できるわけです。


また、誰かがスタープレイヤーになってチームを引っ張っていくのではなく、4人全員のチームワークによってはじめて力が発揮されるスポーツですので、メンバー全員が主役になってプレーすることができるというのも魅力のひとつだと思います。


――現在はどのようにキンボールを楽しまれているんですか?


清:毎週土曜日に地元の中央区佃中学校の体育館で練習しています。また、「CHUO H-10」というチームで試合や大会などに出場しています。


プレイヤーとしてキンボールを楽しむ一方で、東京都キンボール連盟の審判部長も務めていまして、レフリーとしても試合に参加しています。


――夢はずばり「キンボールを普及させること」だそうですが


清:日本では現在約10万人ぐらいの人がキンボールを楽しんでいます。地道に広がってきてはいるんですが、ゲートボールのように、その名を聞いただけでどんなスポーツなのか誰もが思い浮かべることができるぐらい有名にしたいんです。


東京都キンボール連盟では、東京都のキンボール人口の増加と全体のレベルアップを図り、昨年からTリーグという区対抗のリーグ戦を年間10回開催しています。またボランティアとして、キンボールの楽しさを多くの人に知ってもらうために講習会を開いたりもしています。今ではキンボールは本当に生活の一部になっていますね。キンボールがあるから、毎日がんばれるんだと思います。


――プレイヤーとしての目標を教えてください


清:12月に第8回ジャパンオープンが開催されるのですが、東京都キンボール連盟の一員として、そしてプレイヤーとして参加します。もちろん優勝を目指しています。


――キンボールを多くの方に知ってもらうためにメッセージをどうぞ


清:キンボールはとにかくやってみなくては面白さがわからないスポーツです。毎週土曜日に中央区佃中学校の体育館でキンボールを楽しんでいます。誰でも参加することができますので、ぜひ一度キンボールを体験しにきてください。パスを少し練習するだけですぐにゲームに参加できますし、リードアップゲームというキンボールに親しむための段階的なプログラムもありますので、キンボールをやったことがない方でも気軽に参加できます。


ジャパンオープンでレフリーを務める清水さん(右側の黄色のレフリージャケットの方)


キンボールは老若男女誰でも参加できるので、ご家族全員で楽しまれている方たちも多いのだとか。清水さんご一家も、家族みんなで練習や試合に参加。家族旅行がてら、試合で遠征に出かけることもあるそうです。ご友人一家も家族全員でキンボールを楽しみ、キンボールが話題に上らない日はないとのこと。こんな風に家族全員がプレイヤーになれるスポーツは、他にあまりないのではないでしょうか?
※上写真は、ジャパンオープンでレフリーを務める清水さん(右側の黄色のレフリージャケットの方)。


今回の「参加者インタビュー」を読んでキンボールに興味が湧いた方は、ぜひ『キンボールと海と私』をご覧ください。『夢×挑戦ブログ』では、キンボールのさらなる普及と清水さんの挑戦を応援していきます!


『キンボールと海と私』

2007年7月13日10:31 | | トラックバック (1)

2007年7月 6日(金)

参加者インタビュー第10弾~おもちゃの病院から広がっていく喜びの輪

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

ご好評いただいている「参加者インタビュー」もついに第10回目となりました!今回は、『おもちゃの病院_報告』の玩具の病院インターンさんをご紹介!定年退職後、地元の児童館などを回っておもちゃの病院を開いている玩具の病院インターンさんに、おもちゃの病院を始めるきっかけや夢への原動力についてお話を伺いました。

おもちゃの病院開院へと向かう玩具の病院インターンさん


――おもちゃの病院を始めたきっかけを教えてください


玩具の病院インターンさん(以下、玩):定年退職後、地元の生涯学習施設で習い事を始めたんですが、そこでおもちゃの病院の講習会があると知り、参加することにしました。講習会では、先生に直し方を習いつつ、実際にお客さんに壊れたおもちゃを持ってきてもらって、何個も何個もこなしながら直し方を覚えていきました。もともと細かい物をいじったり、考えたり工夫しながら何かを作ったりするのが好きでしたので、おもちゃの修理は自分に合っていたようです。また、直したおもちゃをお子さんに手渡すとすごく喜んでくれて、「これはいいなぁ」「やりがいがあるなぁ」と思い、本格的におもちゃの病院のボランティアに参加するようになりました。


強く意識してきたわけではないのですが、ずっと自分の中に、「定年後には人のためになにか役に立つことがしたい」「今まで生きてきた恩返しがしたい」という想いがあったようでして、そういった意味でもおもちゃの病院の活動は自分にぴったりきたんだと思います。


――恩返しをしたいと思うようになったのには、何かきっかけがあったのでしょうか?


玩:戦時中、5歳の時に胃潰瘍になったんです。お医者さんは「必ず治すから、大丈夫」と言ってくださり、点滴などない時代でしたので、ブドウ糖の注射や食事療法などで根気よく治してくださいました。それからだいぶ経って、会社の健康診断で若いお医者さんにその話をしたら、「あなたは生きているんじゃなくて、生かされているんですよ。何か世の中に対して恩返しはしているんですか?」と聞かれたんです。


その時は、「何もしていません。子どもを育てながら生活していくのでいっぱいですので、定年後に何かします」と答えたんですが、ずっと心のどこかでその言葉を意識していたのかもしれません。


――おもちゃの病院は、どのようなペースで活動されているんでしょうか?


玩:講習会をしている生涯学習施設と地元の児童館の7ヶ所を月に1回ずつ車で回っています。ほぼ週に1、2回はおもちゃの病院を開院していますが、午前、午後で2ヶ所回ることもありますので、児童館にいく日がない週もあります。そんな週は物足りない感じがしますね(笑)。


1回の開院時間はだいたい1時間半~2時間ぐらいで、その場で修理してお返しすることもできますが、お客さんが多い時や修理が難しいおもちゃがきた時は、家に持って帰って修理します。その場で直す場合、限られた時間の中ではどうしても修理が難しいという物もありますが、家だと色々な修理方法を考えながら、じっくりと取り組むことができます。


――夢は「1万個のおもちゃを治療する」ことだそうですね


玩:実は、この「夢×挑戦ブログ」に参加する際に、せっかくだから「でっかくいきたい」と思って書いてみたんです。これまでに606個のおもちゃを修理してきたんですが、1万個修理する頃には単純計算で102歳になっていることが最近わかりました(笑)。1万個はあくまでも夢ですが、できる限りたくさんのおもちゃを直していきたいですので、健康のために6月からウォーキングを始めたんです。雨の日以外はほぼ毎日、1時間5.7キロ歩いています。これを始めるきっかけも、まさに「夢×挑戦ブログ」のおかげです。


――おもちゃの病院を続ける原動力はどんなところにあるんでしょうか?


玩:やっぱり、直したおもちゃを手渡した時のお子さんの笑顔ですね。ニコーッと笑った顔は写真に撮りたいくらいです。お子さんが喜ぶ姿を見て、お母さんもすごく喜んでくれます。また、直したおもちゃを児童館の職員の方に預けてお子さんに渡してもらうこともあるのですが、職員の方も忙しいですので迷惑かなと思っていたら、「渡すときに子どもさんが喜んでいましたよ」と、嬉しそうに教えてくれるんです。みなさんに喜んでいただけて、もちろん私も嬉しくなります。おもちゃを治療することによって、いろんな人たちが嬉しい気持ちになれるんですね。


この嬉しい気持ちが大きな輪になって広がっていけば、おもちゃを直して大事にしたいと思う人が増えて、だたゴミとして捨てられていくおもちゃも減るんじゃないかと思っています。最近では、自分が子どもの頃にご両親に買ってもらったおもちゃを、子どもにあげたいからと修理に持ってくる方もいます。親から子どもへ、またその子どもへとおもちゃが受け継がれていくんですね。そんな橋渡し役ができるのも嬉しいことです。


――今後はどのようにおもちゃの病院を続けていこうと考えておられますか?


玩:おもちゃを治療する前に、「治療前よりも悪くなってしまうこともあります」とお客さんに同意をいただくのですが、大事なおもちゃを預かって修理するわけですから、私は前より悪くなるような可能性のある直し方はしたくないと思っています。必ず現状よりも良い状態に修理してあげたいと思っています。お客さんを残念がらせるようなトラブルなどなく、できるだけ長くおもちゃの病院を続けていきたいですね。


おもちゃの病院の受付で使っている道具


『おもちゃの病院_報告』には、これまでに修理されたおもちゃとそのエピソードがたくさんアップされています(※上写真は、おもちゃの病院の受付で使っている道具)。また、修理したおもちゃを写真に撮る一方で、花の写真なども撮られているとのこと。その写真と子育てを応援する内容のブログも運営されているそうですので、そちらもぜひご覧ください!

『::::[子育て爺]&[辻説法爺]::::』

「おもちゃの病院がきっかけで色々なことをはじめました。目の前のことをただ一生懸命にやっているだけなのですが、全てがプラスになって、つながっているような気がします」と玩具の病院インターンさん。これからもおもちゃの病院を中心にさまざまな挑戦を続け、また新しい喜びの輪を広げていってください!「夢×挑戦ブログ」は、今後も玩具の病院インターンさんの挑戦を応援し続けていきます!

『おもちゃの病院_報告』

2007年7月 6日10:30 | | トラックバック (0)

2007年6月29日(金)

参加者インタビュー第9弾~自分を見つけるために鉄をたたく

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

第9回目の「参加者インタビュー」では、『あたたかくやわらかな鉄』のかじや鉄子さんをご紹介。家業である鍛冶屋さんの仕事に入られてから6年。現在はフックやタオルかけ、ランプベースなどの販売用のアイアン製品・雑貨を作りながら、自分の作品作りにも励んでいるというかじやさんに、いろいろなお話をうかがいました。

製作中のかじや鉄子さん


――家業の鍛冶屋さんに入られたきっかけを教えてください


かじや鉄子さん(以下、か):ずっとお好み焼き屋をやっていたんですが、長年商売を続けているうちに、「何か別のことをしてみたいな」と思うようになってきたんです。ただ、長年の常連さんもいることですし、そう簡単には店を閉めることができなかったのですが、いろいろなタイミングから、2000年に思い切って鍛冶屋に入ることにしました。


店を閉めるのはやはり簡単なことではありませんでしたが、鍛冶屋の仕事にはすんなり入ることができました。子どもの頃から父の仕事を見てきましたし、五寸釘をたたいて手裏剣みたいな形にしては木に投げて遊んだりしていましたので、馴染みのある世界でした。


――現在はお父様と二人でお仕事をされているんですよね


か:そうです。祖父の代から始まった家業で、父で二代目。兄が三代目だったのですが、1994年に他界してしまいましたので、現在は父と私の二人でやっています。


父は鍛冶屋歴60年以上の大ベテランで、今年で77歳になります。とっても元気で、よく周りの人からびっくりされます。昔から力持ちで有名だったそうで、今でも力のいる仕事を頼まれたりします。父は機械のない時代から自分の手だけで仕事をしてきましたので、ちょっと難しい注文がきても機械に頼ったりせずに何でも自分の手で作ろうとしますね。本当に「うちの父はスゴイ」と思うことがよくあります。一方の兄はすごく細かい人で、2、3ミリの狂いも許さないような人でした。


――夢は「父や兄を超えること」ということですが


か:鍛冶屋の仕事をやればやるほど、自分は父と兄の足元にまったく及ばないということを痛感してしまうんですが…。私はこれまでに美術や工芸の教育を受けたことがありませんし、鍛冶屋の修行をしてきたわけでもありませんから、自分は本当になにも知らない、何もできないということをこの6年間ずっと実感し続けてきました。


でも、何も知らない何もできないというのは、逆に型にはまることなく何でもできる「可能性」でもあるのではないかと考えています。自分のできることは限られていますが、その中で自分だけができることを見つけていき、いつかは父や兄を超えたいと思っています。


――販売用のアイアン製品や雑貨だけでなく、作品作りもされているそうですね


か:自分のできることを模索するということで、お客様向けに製品を作るだけでなく、自分の作りたいものを作るようになりました。昨年の2006年11月に初めての個展を開催し、今年の4月にはグループ展も行いました。11月にはまた自分で企画したグループ展を行う予定です。平日はお客様の注文品や販売用の製品を作っていて、作品作りは主に土日に行っていますので、今から11月に向けて準備を進めているところです。


――自分の作りたい作品を作るようになってから、何か変化はありましたか?


か:最近、自分は「きれいな物」ではなく、どこか「いびつな物」が作りたいんだということがわかってきました。それが「自分」なんだなって、だんだんとわかってきたんです。


「自分を見つける」というのが、作品作りを通しての究極の夢なのかもしれません。父や兄がやってきたことを自分がやっても仕方がないですし、第一自分にはできません。「自分だけができること」を見つけることによって、「自分」というものを見つけていきたいと思っています。


――「自分を見つける」という夢に挑戦し続ける中で、つらかったことはありますか?


か:ないです。作品を作っているときは本当に楽しいですね。鉄をたたいていると、すごく無心になれるんです。昔、一時期釣りをしていたんですが、1時間でも2時間でもピクリともせずに無心に魚を待つことができたんです。鉄をたたいている時はそれに近いですね。無心で楽しい時間です。でも、たたき終わって出来上がったものを見ると、ガッカリしたりするんですが(笑)。


――これからの挑戦を教えてください


か:2004年から出品しているのですが、今年も『工芸都市高岡クラフトコンペティション』という工芸品の公募展に出品する予定です。こちらもそろそろ作品作りを始めようと思っていて、アイデアがひらめくのを待っているところです。教育も受けていない、修行もしていない自分が自信をつけていくには、こういったコンペなどにチャレンジして、評価してもらうことだと思っています。


かじや鉄子さんの作品『ツームォ』


ブログにはかじやさんが作られたアイアン製品や作品の写真がアップされています。どれも味わい深い製品・作品ばかりなのですが、「自分はまだまだペーペーです」とかじやさん。お父様とお兄様の存在は、かじやさんの中でかなり大きいようです。
※上写真はかじや鉄子さんの作品『ツームォ』。腰の部分に特徴があります。


今後は高岡クラフトコンペ、グループ展が控えており、現在は「ひらめき」を待ちながら準備を進めているとのこと。素晴らしいアイデアがひらめくことを「夢×挑戦ブログ」も期待しております。みなさんもぜひブログでかじやさんの作品をご覧になってください!

『あたたかくやわらかな鉄』

2007年6月29日10:30 | | トラックバック (0)

2007年6月22日(金)

参加者インタビュー第8弾~難しいけれど癒される二胡の音色

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。

ご好評をいただいております「参加者インタビュー」。第8回目の今回は、『二胡のあ~さな』のfuminecoさんをご紹介いたします。二胡という中国の弦楽器を習うようになってから3年。難しい楽器ながらも、二胡を弾くことによって日々癒されているというfuminecoさんに、二胡の魅力についていろいろなお話をうかがいました。

二胡を弾くfuminecoさん


――二胡を始められたきっかけを教えてください


fuminecoさん(以下、f):10年ぐらい前に旅行でモンゴルに行ったんですが、現地の美術館の出口のところに露天商の人がたくさんいたんです。その中の一人が馬頭琴という楽器(※)で『北国の春』を弾いていて、自分の国ではないところで耳馴染みのある曲が聴こえてきたことにまず驚き、次に馬頭琴の音色に感銘を受けました。
※モンゴルの弦楽器。


すっかり馬頭琴の音色に魅せられてしまったのですが、その頃はまだ自分でやってみようという考えはありませんでした。でも、それから5~6年たった頃に女子十二楽坊がデビューして、馬頭琴や二胡といったアジアの弦楽器にまた興味がわいてきたんです。独学で始めてみようかなと思っていた時に、タイミングよく近所に二胡の教室ができまして、さっそく通うことにしました。今は月2回、6人メンバーでレッスンを受けています。


――二胡を始める以前にも、何か他の楽器を習われていたんですか?


f:いえ、楽器は全然経験がなくて何もできませんでした。二胡が初めてです。だから最初は無我夢中でした。ピアノなどの楽器なら、ポンと鍵盤をたたけば音が出てきますが、弦楽器は演奏以前に音を出すまでが大変なので、最初の頃は本当にノコギリのような音しか出ませんでした。家で練習している時など、家族にずいぶん迷惑をかけてしまったようです(笑)。しかも、二胡は弦が2本しかなく弦楽器の中でも特に難しいようで、音が出せるようになるまで2年かかりました。


――夢はサン=サーンスの『白鳥』を弾くことだそうですね


f:まだまだ『白鳥』を弾くのは先のことになりそうです。最近は『トロイメライ』を練習しています。『花』や『涙そうそう』『5番街のマリー』も練習しました。1年に1度発表会があるんですが、去年は『神田川』も弾いたんですよ。結構むずかしかったです。


――夢に挑戦しつづける中で、一番つらかったことはなんですか?


f:1年半くらい前に大きな壁がありまして、先生にそこは必ず乗り越えないと上達できないポイントだと言われていたんですが、本当に大きかったです(笑)。しかも、そんな一番大事なときに風邪でレッスンを1回お休みしてしまったんです。1回のレッスンで結構先に進んでしまうので、次の回にはもう他のメンバーについていけなくなっていて、すごくつらい思いをしました。


でも、その壁を乗り越えてみたら、今までモヤモヤとしていたことがわかるようになって、すごく楽になりました。実は、ダメだと思ったら結構すっぱりとあきらめる方なんですが、二胡は「はじめたからには続けたい」と思っていましたので、「この壁を乗り越えられるか、乗り越えられないかで、今後続けていくか決めよう」と考えていたんです。無事に乗り越えることができましたので、今では一生二胡を続けていこうと思っています。


――今年の1月に新しい二胡を購入されたそうですね


f:これまで使っていた二胡は、お試し的なニュアンスも含めて購入したものだったんですが、二胡を一生続ける決心もつきましたので、思い切って一生使える二胡に買い替えることにしたんです。


新しい二胡は高い音などが以前使っていたものと格段に違いますね。今までにない音を出すことができて感動しました。初めて使った二胡も思い出があるので大切に保管していきたいと思いますが、新しい二胡は弾き終わった後、大事に大事にお手入れしています。


――夢に挑戦することによって、得られたものはありますか?


f:二胡を弾いていると日常の生活から離れて、自分だけの世界に入ることができます。仕事でフィットネスインストラクターをしていまして、ヨガやエアロビクスをお教えしているんですが、ヨガなどで人のストレスを癒してあげる一方で、自分は二胡を弾くことによって、体を動かすのとはまた別の癒しをもらっているといった感じです。二胡を弾き終わると、気持ちも体もすごくすっきりとするんですよ。


――目標の『白鳥』の他に、これから挑戦したいことがありましたら教えてください


f:私が二胡を始めたのを知って、友達が1年ぐらい前からチェロを始めたんです。二胡とチェロは結構相性がいいので、いつかはコラボレーションできればいいねって話しています。また、ヨガを教えている生徒さんにバイオリンの先生をしている方がいて、その方にも「今度、やさしい曲を一緒に弾きましょう」と誘われているんです。どちらも実現するのはまだまだ先のことになりそうですが、とても楽しみです。


今年1月に購入した新しい二胡


二胡の音色を文章でお伝えすることができないのが残念ですが、fuminecoさんいわく、「心が癒されるような音色」とのこと。その二胡の音色が夢に挑戦し続ける原動力にもなっているそうです。
※上写真が今年1月に購入した新しい二胡。


ほぼ毎日ご自宅で練習に励んでいるというfuminecoさん。毎年秋には発表会があり、今年の秋にも予定がひかえているそうです。発表会近くになるとますます練習などでお忙しくなりそうですが、素敵な演奏ができることを「夢×挑戦ブログ」も祈っております。ブログにもぜひ演奏会の様子を報告してくださいね!

『二胡のあ~さな』

2007年6月22日11:18 | | トラックバック (1)

2007年6月15日(金)

参加者インタビュー第7弾~社交ダンスから広がる世界

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。


「参加者インタビュー」第7回目は、『社交ダンス始めます!』のがもはじさんをご紹介いたします!がもはじさんは今年の4月に一念発起し、社交ダンスのレッスンをスタート。最近は、社交ダンスからいろいろな世界が広がり、充実した毎日を過ごされているそうです。そんながもはじさんにいろいろなお話をうかがいました!
※下写真はレッスン中のがもはじさん(手前側)。


レッスン中のがもはじさん(手前側)

――社交ダンスを始めたきっかけを教えてください


がもはじさん(以下、が):腰の持病が悪化してしまい、昨年仕事を辞めることになってしまったんです。退職後、腰のために表に出るのがおっくうになっていたところに、ちょうど冬がやってきまして…。北海道に住んでいますので、寒さも厳しいですし、雪も降りますし、おまけに冬の期間も長いものですから、どんどん表に出なくなって、半年ぐらいずっと家の中にこもっていたんです。気がついたら気分もふさぎがちになっていて、体重も増えてしまって…。


それで、冬が終わってだんだん暖かくなってきた頃、「このままではいかん!」と思い立ち、社交ダンスを始めることにしました。


――社交ダンスにはもともと興味があったんですか?


が:映画の『Shall we ダンス?』がヒットして、社交ダンスブームがありましたよね。その頃からあこがれていたんですが、自分でやろうと思ったことはなかったんです。最近もテレビで社交ダンスの番組をやっていましたが、「いいな~」と言いながら見ているだけでした。でも、なにか新しいことを始めようと思ったときに同じ番組を見ていて、「年齢や体型に関係なく社交ダンスは誰にでもできるんだ」と思い、始める決心がついたんです。


それが今年の3月ぐらいで、すぐにインターネットでいろいろ調べたり、図書館で本を借りたりしながら、イメージトレーニングを始めました。ブログを書きだしたのもその頃です。そして、4月からダンススクールに通い始めたんです。


――レッスンを始めてから2ヶ月が経ちましたが、順調に進んでいますか?


が:映画やテレビで観たり、頭の中で考えているのと、全然違いました!もともと体がかたい方で、筋肉も落ちているなぁと感じていたので、結構きついです。想像以上に体を使うし、汗もいっぱいかきますね。


でも、夫が一緒に社交ダンスを始めてくれたので、それがすごく励みになっています。家で練習しているときも、1人だと間違ったステップのまま踊り続けてしまいますが、2人だとお互いの間違いを指摘しあえるんですよ。


――ご夫婦でひとつのことにチャレンジできるのは素晴らしいことですね!


が:夫は初め、誘っても興味がなさそうだったのに、ダンススクールに通う直前になって「俺も行こうかな?」って言い出したんですよ。びっくりしました。しかも、なぜかルンバが好きで、初めてのレッスンのときから楽しそうにルンバを踊っていました。知らない一面を知ることができましたね(笑)。


それに、社交ダンスを始めてから、夫婦のコミュニケーションがぐんと増えたようです。レッスンのおさらいや練習を一緒にするのはもちろんですが、家で練習するときの音楽やレッスン用の本や雑誌についてなど、いろいろなことを話すようになりました。


――社交ダンスを続けていく中で、さらに挑戦していきたいことを教えてください


が:とにかく体がかたくて、筋力がないんです。踊れる体になるには柔軟性と筋力が必要ときいて、最近、ウォーキングと筋トレ、ストレッチを始めました。今はまだ1時間ウォーキングしただけで股関節が痛くなったりするんですが、だんだんと距離を伸ばしていきたいと思っています。


あとはアンチエイジングです。社交ダンスはパートナーの方と接近して踊りますから、お肌を間近でみられてしまうので、お手入れをしっかりとするようになりました(笑)。それに、手や指先のお手入れも気にかけるようになりましたね。踊るときに手を取り合ったり、フリー・アーム(※)を使って表現したりと、手を見せることが結構ありますので、女性の先生もネイルやつけ爪をしてすごくきれいにしているんですよ。
※組んでいない方の腕のこと。


――社交ダンスを始めてから、生活がガラッと変わられたようですね


が:体を動かすということはもちろん、夫婦のコミュニケーションも増え、お肌や手のお手入れも気にかけるようになり、いろいろと世界が広がってきました。今は毎日充実しています!いつもパッと思いついたら即行動、即チャレンジする方なのですが、今回も挑戦してみてよかったと思います。無理だとあきらめないで、とにかく始めてみること、挑戦してみることが大切だと思います。


これからも楽しい気持ちでゆっくりと続けていって、しわくちゃのおばあちゃんになっても踊り続けたいと思っています。


レッスン中のがもはじさんのご主人


「社交ダンスはおじさん、おばさんの趣味といったイメージがありますが、始めてみるとすごく楽しいので、若い方も先入観をもたずに、チャレンジしてみるといいと思います。老若男女、誰でも楽しめると思いますよ」と、がもはじさん。「それに、夫婦のコミュニケーションを増やすのにもおすすめです(笑)」とのことです!
※上写真はレッスン中のご主人。


がもはじさんのブログには日々の挑戦と、ご主人との楽しいやりとりがアップされていますので、みなさんぜひご覧ください!「夢×挑戦ブログ」では、夢への挑戦はもちろんのこと、これからもがもはじさんの世界がどんどん広がっていくことを応援しています!


『社交ダンス始めます!』

2007年6月15日10:39 | | トラックバック (0)

2007年6月 1日(金)

参加者インタビュー第5弾~世界でたったひとつのチーズを作りたい!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。


ご好評をいただいている「参加者インタビュー」も第5回。今回は、北海道で御家族と牧場を営まれている『海の見える牧場で』の村上健吾さんをご紹介!牛たちを育てながら、「フェルミエ」スタイルのオリジナルチーズ作りに挑戦している村上さんに、チーズ作りや酪農業への想いをお聞きしました。


放牧地で青草を食べている母牛たち


――オリジナルチーズを作りはじめたきっかけを教えてください


村上さん(以下、村):もともと実家が牧場を経営していて、後を継ぐために去年の夏にUターンしてきました。子どもの頃から両親の仕事を見てきて酪農業の大変さを知っていましたので、はじめは継ぐのに抵抗があったんですが、酪農から離れて社会でいろいろな経験をするうちに、あらためて酪農業の良さに気づいたんです。

オリジナルチーズ作りに挑戦しようと思ったのは、前に勤めていた牧場でチーズの作り方を覚えていくうちに、自分にしか作れないチーズを作ってみたいと思うようになったのがきっかけですね。いずれは「フェルミエ」スタイル(※1)のチーズを作る牧場にして、我が家の牧場で搾った牛乳でチーズを作り、たくさんの人に食べていただきたいと思っています。
※1:一軒の農家で飼育から搾乳、チーズ作りまでが一貫して行われ、丹念に作られた農家製チーズのこと。

――オリジナルチーズ作りの挑戦は順調ですか?

村:まだまだ試作段階です。自分が作りたいのは長期熟成でじっくり作るタイプなので、作ったチーズの結果を知るまでに時間がかかるため、納得のいくチーズが完成して販売に至るまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

――夢に挑戦し続ける中で、つらかったことはありますか?

村:今年の4月、子牛の出産の際に母牛が起立不能(※2)になってしまうという事故がありました。今はなんとか立ち上がれるようになり、元気になってきましたが、「もっと自分にできることがあったのではないか」「どうしてこうなってしまったんだろうか」と、自分の知識と経験の少なさを悔みました。

搾乳のために牛たちには毎年子牛を産んでもらわなくてはならないので、体にとても負担がかかります。こういった不幸な事故が起こるのは、餌や飼育方法、そして人間の観察力に不備があり、掘り下げていけば牧草の育て方や、その土の状態など、牛たちを取り囲むすべての環境が影響しています。今はこの出来事を踏まえて、牛たちにもっといい環境作りと世話をしてあげたいと思っています。
※2:分娩前後に母牛が立てなくなってしまう症状。

――今のお話やブログにアップされている写真を拝見すると、牛たちに対する愛情をすごく感じます

村:酪農家によって牛の飼育方法は千差万別ですが、我が家は1頭1頭の牛を大切にして、健康に長生きさせられるような飼育法を心がけています。もともと動物が好きですし、長く付き合う分愛情もどんどんわいてきます。そんな牛たちの牛乳で作ったチーズを通して、牛の良さや可愛さを多くの人に知ってもらいたいという想いも、チーズ作りの原動力のひとつになっています。

――牛たちの世話やチーズ作りに挑戦する中で、ほかに励みになっていることはありますか?

村:やっぱり、家族や友人の励ましですね。それに、近所の酪農家仲間の方たちに試作したチーズを食べてもらったりしているんですが、「美味しいね」「がんばってね」と言われると、とても励みになります。

あと、最近ではブログを通して酪農家の方、趣味でチーズ作りをしている方など、いろいろな方々と知りあうことができ、コメントや感想を聞かせていただくのもとても楽しみになっています。

――これからはどのように挑戦を続けていこうと考えていますか?

村:まずは、自分も納得し、人にも認めてもらえるような、おいしいオリジナルチーズを完成させて販売することです。簡単には実現しないと思いますが、チーズの熟成とともに、時間をかけてじっくりと、夢の実現に向かっていこうと思っています。

チーズを作るのには、熟成時間や乳酸菌も重要ですが、その土地に住んでいる微生物なども影響してきます。もちろん、その土地の草を食べた牛の牛乳も関係してきますので、オリジナルチーズにはその土地のすべてが含まれていると言えます。だから、自分が作っているチーズは世界にたったひとつしかない、この土地からだけしか作れないチーズなんです。

そんなオリジナルチーズを通して、この土地の自然の素晴らしさや、そこで育った牛の良さを感じとっていただければと思っています。

村上さんとオリジナルチーズ

村上さんの一言一言に、オリジナルチーズ作りと牛たち、そして生まれ育った土地や自然への愛情を感じました。村上さんの作る、世界でたったひとつのチーズ。早くたくさんの人に食べてもらえる日が来るといいですね!ブログには美味しそうなオリジナルチーズや可愛い牛たち、北海道の美しい風景の写真がアップされています。ぜひ御覧ください!
※上写真は村上さんと作ったばかりのチーズ。これから3ヶ月以上熟成させる予定だそうです。

最後に、村上さんに「何かメッセージはありますか?」とお聞きしたら、少々照れながらも「夢に向かって一緒に歩んでくれる人…お嫁さん募集中です。これも挑戦のひとつです(笑)」と教えてくださいました。きっと村上さんの夢に共感してくださる素敵な方が現れると思います!「夢×挑戦ブログ」では、村上さんの夢をこれからも応援していきます。

『海の見える牧場で 』

2007年6月 1日10:40 | | トラックバック (0)

2007年5月18日(金)

参加者インタビュー第4弾~スポーツの感動を伝えたい!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。


毎回、夢×挑戦ブログに参加されている方の生の声をお届けしている「参加者インタビュー」。第4回目となる今回は、スポーツライターを目指し、ブログなどを中心にコラムを発表されている『HIROYUKI's SPORTS Cafe』の伊藤浩之さんをご紹介。スポーツへの熱い想いを語っていただきました!

スポーツライター新人賞最終選考に進出した際に贈られた賞状


――スポーツライターを目指すようになったきっかけを教えてください


伊藤さん(以下、伊)::純粋に「スポーツが好き」で、その「好きなこと」を職業にしたいという想いがずっとありました。特に、スポーツの感動を伝えることができる仕事に携わりたいという気持ちは強かったですね。

そんな中、スポーツライターの小林信也氏が主宰される「スポーツライター新人賞」の存在を知り、自分の年齢や立場でもスポーツライターを目指すことができると思い、挑戦をはじめました。

――現在はどのような場でスポーツコラムを発表されているのでしょうか?

伊:「スポーツライター新人賞」への応募とブログでの発表が中心ですね。ジャンルは主に野球、サッカー、プロレスです。はじめは自分でもできるのだろうかと不安だったんですが、「スポーツライター新人賞」の審査などで評価していただくうちに、どんどん意欲がわいてきました(笑)。※上写真は「スポーツライター新人賞」最終選考に進出した際に贈られた賞状。

新人賞にしてもブログにしても、まずはじめに「スポーツの感動を伝えたい」という想いがありますので、「これは書きたい!」と気持ちが動いた出来事や心に残ったものを自分の納得のいく原稿に仕上げて発表しています。

――J2徳島ヴォルティスの選手やスタッフのみなさんに取材されたこともあるそうですね

伊:当時(2004年)はまだJFLの『大塚製薬株式会社サッカー部』だったんですが、Jリーグほど取材の規制が厳しくなかったこともあり、自分のようなアマチュアのライターでも快く取材に応じてくださいました。

――スポーツライターを目指すようになって、自分自身「変わったな」と思うことはありますか?

伊:「できない」「無理だ」と簡単に思わなくなりましたね。何事もあきらめず、前向きな気持ちをもてるようになったと思います。

あと、これまではあくまでもいちファンとしてスポーツを観戦していたんですが、今はTVでも生で観戦する時でも、“ライターの視点”で見るようになってきたと思います。もちろんネタ探しというのもありますが、スポーツというのは面白いもので、ささいなことでガラッと雰囲気が変わって、試合の流れも変わってしまうんですよ。特に生で観戦するとそういったことが良くわかるので、競技場に行った時にはどんな小さなことも見逃さないように注意して見るようになりましたね。

――夢に挑戦し続ける中で、つらかったことなどは?

伊:地方在住ですので、なかなか競技場などの現場に足を運べないという悩みはありますね。近くで試合がおこなわれる時には、できる限り行くようにしているんですが。

でも、どんなことにでも言えることですが、夢に挑戦し続ける限り、失敗や足踏み、挫折は必要だと思います。ときにはそれを楽しんで、乗り越えていかないと。チームプレーのスポーツなどの場合、自分が良いプレーをしてもチームとしては負けてしまうこともある。そんな時にふてくされてしまうか、それともひとつの経験として明るく前向きに考えることができるかで、その後が大きく変わってくると思います。

――常に前向きでいられる原動力とは?

伊:ブログを見てくれている方々の存在には励まされますね。あとはやはり、スポーツから得られるいろいろな感情を伝えたいという想いです。ひとくちに表現するのは難しいのですが、ただ「感動した」というだけでなく、スポーツを通してわいてくる喜怒哀楽さまざまな感情を伝えることができればと思っています。

――これからの挑戦としては、どんなことを考えておられますか?

伊:いつかは自分のブログ、コラムを自費出版したいと思っています。今はブログにアップしながら、どんどんコラムを書きためているといった段階ですね。それと、コラムを中心にした活動に余裕が出てきたら、スポーツを題材にした短編小説にもチャレンジしてみたいですね。自分はスポーツライターであってコラムニストではないと思っていますので、コラムに縛られずにライターとして柔軟に書いていきたいです。

伊藤さん近影
「例えば前に、こんな試合があったんですよ…」と、野球やサッカーの試合での出来事を例に、いろいろとお話してくださった伊藤さん(※上写真)。どの出来事もすごく詳細に覚えておられて、“スポーツライターの視点”にただただ感心するばかりでした。

「ブログを通じて“活字でスポーツを表現する”ことの素晴らしさを伝えていくことも目標のひとつ」とのこと。スポーツの感動や熱気を活字にするというのは難しいことだと思いますが、これからも新人賞への応募やブログの更新を楽しみにしています。また、自費出版や短編小説の執筆といった今後のご活躍にも「夢×挑戦ブログ」は注目していきたいと思います!みなさまもぜひ一度、伊藤さんのブログをご覧になってください。


『HIROYUKI's SPORTS Cafe』


2007年5月18日10:31 | | トラックバック (3)

2007年5月11日(金)

参加者インタビュー第3弾~楽しみながら走り続けたい!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。


夢×挑戦ブログに参加されている方の生の声をお届けし、ご好評をいただいている「参加者インタビュー」。今回は、ニューヨークシティマラソン(以下、NYCマラソン)への参加を目標に、日々練習に励んでおられる『Run For Fun』のhiddieさんにお話を伺いました。

荒川市民マラソン完走後


――マラソンをはじめたきっかけを教えてください


hiddieさん(以下、h):もともと万歩計を付けて歩いたり、週末にジムに通ったりしていたんですが、夕方ぐらいに少しずつ走るようになってから、だんだんと距離が伸びていき、気がついたら毎週のようにレースに参加するようになっていたという感じです。

それまでは走るのは面倒だし、どちらかというと好きじゃなかったんです(笑)。はじめの頃も400m走っただけで息が苦しくなったりしたんですが、もうちょっと走ろう、もうちょっと走ろうと距離を伸ばしていくうちに、走るのが楽しくなってきてのめり込んでいきました。

――3月18日の荒川市民マラソンでは、3時間38分17秒というタイムだったそうですね

h:初めてのフルマラソンだったので4時間ぐらいで走れればいいやと思っていたんですが、いつもブログにコメントをくださるマラソン仲間の方から、レース前の調整法などをいろいろとアドバイスしていただく内に、レース直前には「3時間45分ぐらいで走れればいいかな」という気持ちに変わってきました(笑)。実際に走ってみたら3時間38分17秒でしたね。レース前は、「完走したら、感動で涙が止まらないかも?」と思っていましたが、実際走り終えたら感動でただただ笑顔でした。

――大きく目標を超えられましたね!マラソンをはじめて2年とのことですが、着実に夢に近づいているようです

h:自分ではまだまだビギナーのつもりなんですが、最近ではレース中にベテランっぽい人が競り合ってきたりして、自分もランナーとして認められてきたのかな?と、ちょっとうれしく思っています。

――NYCマラソンへの参加は、マラソンをはじめた頃から目標にされていたんでしょうか?

h:いえ、はじめは夢のまた夢ぐらいに思っていて、自分が参加するなんて考えてもみませんでした。NYCマラソンは、世界でも有数の市民マラソン大会で、沿道に多くの方が集まって声援を送るので有名ですよね。自分もそんな中で走れたらな~と思ったりもしましたが、あくまでも憧れでしたね。

――憧れが実現したい夢・目標に変わったきっかけは?

h:去年の10月くらいから本格的にブログを書くようになって、自分でも他のランナーの方のブログをよく見るようになりました。NYCマラソンに参加された方たちのブログも結構あって、レース中の気持ちなどが書かれた記事を読んでいると、まるで自分も実際に走っているような気持ちになったりして…。多くの方の声援の中で、最後まで妥協せずに走り通せたら、自分の殻を打ち破ることができるのではないかと思い、いっちょやってみようかという気持ちがわいてきたんです。

――3時間30分でゴールするのが夢とのことですが、先日の荒川市民マラソンのタイムからみても実現できそうですね

h:最近では欲が出てきて、3時間15分以内にゴールしたいとも思うようになってきました(笑)。ただ、もともと「楽しみながら走る」というのが自分のスタンスですので、どうしても目標を達成したいという感じではなく、参加して、楽しく走りきれればいいなと思っています。

――NYCマラソンへの参加はいつごろ実現しそうですか?

h:NYCマラソンは毎年11月の初旬に開催されるんですが、日本でも10月頃から毎週末どこかで市民レースが開催されるようになるので、今年は国内のフルマラソンにたくさん参加して経験を積んで、できれば来年あたりにチャレンジしてみたいです。

――hiddieさんにはもうひとつ、「目の不自由な方の伴走ランナー」という夢もあるそうですね

h:今はまだ相手の方にかえって迷惑をかけてしまいそうなのですが、自分の満足のできる記録が出て自信がついたら、ぜひ取り組みたいです。マラソンの喜びは、走れば走るほど自分にかえってくるんですが、そんな喜びを人のためにも役立てたいと思っています。自分だけでなく、人にもマラソンの喜びを感じてほしいですね。

春日部大凧マラソン

「他の人のブログから役立つ情報をたくさんもらったから、自分のブログでも情報発信できればと思っています」とhiddieさん。『Run For Fun』はほぼ毎日更新されており、ケガのケア方法などのマラソンに役立つ情報もアップされています。

そんな、自分も楽しみつつ、周りの人の役にも立ちたいという思いが、「目の不自由な方の伴走ランナー」という夢にもつながっているのだと感じました。NYCマラソンへの参加と、伴走ランナーという2つの夢。「夢×挑戦ブログ」は、今後もhiddieさんの挑戦を応援していきます!

『Run For Fun』

2007年5月11日10:32 | | トラックバック (1)

2007年4月26日(木)

参加者インタビュー第2弾~日本人初の快挙に挑む女性泳者!

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。


夢×挑戦ブログに参加している方の、挑戦する生の声をお届けする「参加者インタビュー」。第2回目の今回は、“日本人初のドーバー海峡往復横断泳”、という夢に挑戦中の『地球の泳ぎ方』の藤田さん(愛称:キンちゃん)と、藤田さんのコーチを担当し、ブログの更新をしている石井さんにお話を伺いました。

遠泳


――遠泳を始めたきっかけを教えてください


藤田さん(以下、藤):1998年に、友達に誘われて熱海で行われたオープン型のレースに出たんです。それまではプールで泳ぐくらいだったので、海で本格的に泳ぐことも初めてだったんですが、競い合う人数が多いのは楽しかった。みんなぶつかり合ったり叩き合ったりしながら泳ぐんですよ(笑)。それも100人、200人という規模なので、抜きつ抜かれつしながら泳ぐことが楽しかったんですね。海で泳ぐ楽しさは、そのときに知ったと思います。

――ブログを拝見しましたが、すでにドーバー海峡は1way(片道)を成功されているそうですね

藤:初めて泳いだのは2002年です。ドーバー海峡を泳いで渡る、という夢は実現したのですが、その時はチーム泳だったので、次はsolo(独泳)でやりたいと思うようになったんです。

――津軽海峡の2way(往復)や3way(一往復半)も成功されているとのことですが、ドーバー海峡往復泳の難しさは?

藤:ドーバー海峡は、6時間ごとに潮の流れが変わるので、最短の直線距離だけを泳げばいいというものではないんですね。気づいたら横に横に流されて泳いでいる場合もあったりして。ドーバーに限らず、何が起きるかわからない、というところが難しさでもあり、同時に醍醐味でもあると思います。

――同じ「泳ぐ」という行為でも、プールで泳ぐのとは、かなり状況が違いますね

藤:一番大きな違いは、目的地がある、ということだと思います。“がんばって泳いでいけば、いつか目的地に着く”ということが自分の原動力になっているとも感じます。他にも違いはいくつかありますが、プールで泳いでいるときよりも、いろんなことを考えながら泳いでいますね。時には18時間などの長時間泳ぎ続けることもあったりするので、今まで練習してきたことや、仲間のことなどを考えながら泳いでいます。

――夢を達成するまでの道のりも、なかなか平坦ではないようです

藤:2004年には2回挑戦し、2回とも失敗しています。翌年の2005年、1wayに2回挑戦し、2回とも成功したんですが、弱音を吐く自分がいて、本当の自分じゃない感じがしていたんです。なんとか泳げたんですが、満足がいかなかったというか・・・。
石井コーチ(以下、石):失敗したドーバー泳でも、ドーバー泳を公認する団体から努力が認められて、トロフィーを授与いただいたりもしたんですが、彼女自身、自信を失っていたと思いますね。

――どのようにして自信を取り戻し、再び挑戦を開始されたのでしょう?

藤:フランスでは“もうこの海は泳げない、泳ぎたくない”と思いましたが、その後に泳いだ、津軽海峡の往復泳で自分を取り戻したと思います。
石:私は彼女に自信を取り戻させるために、100キロ以上泳がせたかったんです。泳ぐことの自信を取り戻すには泳ぐしかない。それが津軽海峡の往復泳につながったんですね。
藤:泳ぐことで、生活面でもあきらめずに、なんでも挑戦できる姿勢を持つようになったと思います。“できない”ではなく、“やらなくてはわからない”。やはり、練習や成功によって見えてくるものがあるんですね。それと「極めたい」という気持ちと、とにかく楽しむこと、それが自分の原動力になっていると思います。

――最後に、これからの夢、挑戦のご予定を教えてください。

藤:今年の7月にドーバー海峡の1way、8月のお盆前に念願の2wayに挑戦する予定です。
石:それと、津軽海峡の縦横断泳(日本海→太平洋+青森→北海道)も今年の9月頃をめどに企画しています。ブログ『地球の泳ぎ方』で報告していきますので、楽しみにしていてください。

ドーバー海峡の往復泳、成功すれば日本人初の快挙です。
すでに1wayは成功している実力の持ち主とはいえ、非常に困難を伴う往復泳です。これからの活動からはますます目が離せません。
協力者のみなさまと
「厳しい目標だと思いますが、体力の続く限りがんばってください」練習時に併走する船の船頭さんである菊地さん(写真左上)からも、インタビュー時に藤田さんへ応援メッセージが送られました。まずは7月、ドーバー海峡の1wayからスタートする、藤田さんの“夢×挑戦”。このブログをご覧のみなさまも、藤田さんへ熱い応援メッセージを贈ってください!


『地球の泳ぎ方』


2007年4月26日10:44 | | トラックバック (0)

2007年4月12日(木)

参加者インタビュースタート!~「本当に楽しい」と心から思えること

『夢×挑戦ブログ』応援団のアライです。


この参加者インタビューでは、夢×挑戦ブログに参加している方の、生の声をお伝えしていきます。
第1回目の今回は、ロープを使用しないロッククライミング“ボルダリング”に挑戦中の『STAGE OF THE ROCK!!』くらしょ~さんにお話を伺いました。

ボルダリング


――ボルダリングを始めたきっかけを教えてください


くらしょ~さん(以下、く):もともと登山をやっていたんですが、テレビで見たアメリカのボルダリングの大会を見て、面白そうだなぁ、と。大学に通うために来た福井県で、県立のクライミングセンターで行われていた講習会に参加したのがきっかけですね。

――醍醐味はどんなところにあるのでしょうか?

く:純粋に、課題に対して挑戦することが面白いです。自分と課題との勝負に、1人で立ち向かっていくことが楽しいですね。最初は全然クリアできない、登れない岩でも、何度もトライしていくうちにクリアできるようになる。最初のうちは失敗ばかりで、100回トライしてもダメなこともありました。でも、着実にがんばった分が結果に結びつくところが醍醐味だと思います。

――先日は夢を一つ達成させたようですね

く:「B-Session」というボルダリングの大会で、決勝に進出しまして、6位に入賞しました。ボルダリングを始めてから、今年で7年目になりますが、昨年、一昨年は大会には出場していなかったので、今回、決勝進出という自分の夢を達成できたことは本当にうれしかったですね。

――夢を達成するために重要なことはなんだと思いますか?

く:諦めないことだと思います。とは言っても、実は一度諦めたことがあるんです。登りすぎで指を故障して、3~4ヶ月の間、一度も登らなかった。そのときはボルダリングは完全に止めてしまおうと思っていたんです。でも、指の故障をする前に友人と約束をしていたクライミングのイベントがあって、そのイベントに参加して岩に登ったことが本当に楽しかったんですね。それをきっかけに、再開しました。


――一度あきらめてからの再挑戦で夢を達成されたとは、感動もひとしおですね

く:一度止めたことで逆に肩の力が抜けた、と言うか、それまでよりもボルダリングを楽しめるようになりました。今は「本当に楽しい」と心から言えますね。

――最後に、これからの夢、挑戦について聞かせてください

く:三つ掲げていた夢の一つは達成したので、あと二つですね。一つは「4段」の岩を登ること。ボルダリングの課題にはそれぞれ難易度がついているんですが、一番やさしい9級から1級があって、その上が1段、2段から最難関の6段まであるんです。今は3段は登れているので、その上の課題をクリアしたい。 それと、もう一つはボルダリングジャパンカップに出場して、決勝に進出することです。これはかなり難しいと思いますが、挑戦したいですね。それと、ボルダリングではないのですが、クライミングで福井県の国体選手に選ばれているので、10月の国体にむけて、持久力を付けるトレーニングを続けていく予定です。
ボルダリング



一度はあきらめた夢への挑戦・・・。自分で終わらせない限り、夢は続いていくのだと思います。再開してからの方が楽しい、と答えてくれたくらしょ~さんの言葉が、輝いて見えました。 これからも挑戦する姿が「STAGE OF THE ROCK!!」で見られるに違いありません。くらしょ~さんをはじめ、夢に挑戦する方たちをこれからも『夢×挑戦ブログ』は応援していきます!


『STAGE OF THE ROCK!!』


2007年4月12日10:41 | | トラックバック (0)

2007年2月28日(水)

参加者インタビューについて

こちらのページでは、夢×挑戦ブログ参加者へのインタビューを掲載していきます。挑戦をしていく上での喜びや苦しさなど、参加者の生の声をお伝えしていきます。

4月より公開予定です。

2007年2月28日10:49 | | トラックバック (0)